中学校の時、とある教師が授業の開始時に、妙なことを突然語り始めた。
「君たちは、俺たち教師の話を聞いてくれている。だから、学級崩壊しているとは言えません!!…」
一体なんの前提があって、こんな話をこの先生がしはじめたのか?その時はよく分からず、妙な気持ちになったが、他の教室では授業を放棄している連中がいると後で知った。
たぶん、その件に関連して、別の生徒の親から指摘があったのか不明だが、何らかの理由でその教師は学級崩壊という事象に向き合うことになった。それであのような話をしたのだろう。
その教師いわく、学級崩壊の定義は授業が成立しないことを言うのであって、うちの学校はまだその段階に達していない。誰も興味がない持論を語りだした。
だいたい、生徒にプレゼンしてなにか意味ある話でもない。生徒達は自分の身は生得的に大事だとは考えるが、別に学校の秩序維持にはまったく興味がない。特に無用なリスクを犯してまで抵抗する気はさらさらない。いじめに目をつぶらない精神をもった人はいたが、不良生徒の授業ボイコットを指導するのは大人の仕事だ。
…教師がこんな話をし始めた時点で、今思えばこの後の展開は分かりきったものだった。
彼には学級崩壊を止める算段がまるで無かった。
教師は私達生徒に現状維持をお願いしてきたが、それはずいぶん勝手な話。生徒と教師の信頼関係は幻想。学級崩壊の初期段階において、教師は穏便に済ませたかったらしいが、中学生の私達にしたことはただのお願いだった。
その教師はただ学級崩壊ではないと思い込みたかっただけ。
教師達がすごい小さい人に見えるようになった。
その時、大人は大きな存在だと思っていたけど、意外に小さいし浅い考えで生きているんだと悟った。
教師がまるで小さい存在だということなら、学校では教師以上の態度で私達は振る舞える。授業中にかったるいなら、席を立ってどっかで駄弁ってたっていい。教師たちはそれを見てはじめは軽く説得をしていたが、しばらくしたら注意すらしなくなった。「それならば」と、自分もその秩序崩壊にのっかって行動するようになった。
教師のオーソリティが著しく低下した公立の中学校が、目も当てられない無秩序なところになった。義務教育により退学処分が行使されないので、生徒のやりたい放題になっていった。授業中に授業とは関係ないことをする人がいるくらいならまだいい方で、強いものが弱いものをいじめることも教師らは徹底して無視するようになった。
見てしまったものは注意をしなければいけないが、見なかったことは注意をしなくてもいい。認識できないものは空気と一緒だ。いじめが教師にとって透明な空気そのものだった。受験をひかえておかしい気持ちになる人が増えていると、とある教師は言ったが、おかしくなっているのは定年間近で面倒ごとを避けて通ろうとしているあなた方教師のほうだろう。
まあ、そう言えるようになったのは自分が大人になってからだが、左翼教師たちの理想なんてこうも軽く脆く崩れて無政府状態になるのだということが観察できてよかったし、人間というのはそういうものだというある種の築きが得られた。別にわざわざ学級崩壊の現場にい合わせなくても金八先生でも見て疑似体験しておけばいい話かもしれない。
いい意味で学校とか組織を信用しないようになった気がしている。
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