マハトマ・ガンジーも、健康はお金よりもずっと重要だと言っています。お金が無くても心身ともにけっこうならそれで結構だと思います。ただお金がないと心が豊かになれない気がするのも現代です。そういう気がするのも現代病かもしれませんが…
ここ数日色んな意味で体調が優れず運動しすぎたのか?(と言っても公園でスクワット100回とかやったりしただけなんですが)全身筋肉痛で…すごい体が弱っている…足もフラフラ…これで3000m級の山を登るとか死ににいくようなものかもしれません。どうも精神と身体が正しく接合している感じがしません。この借り物のの体を御するのも面倒だし、かといって御する事意外にこの精神がなくてはこの身体は動かすものはいなそうだし…自分の身体は他人にバトンタッチもできないのと、自分の身体を無責任に放置するのもいけない気がします。などといった、よくわからない思考回路に陥っている。その自分の身体を手放すことの優先順位を低くすることは…さほど難しくないんだなという気分にさせられます。とりあえずリプレイス気軽にできればいいのに。シェアリングエコノミーサービスの時代ですから、自分の体もそっくり入れ替えられたらいいのにと、わりと本気でそんなことばかり思っている。わりと本気で考えているので、周りの人に言うこともできないので、ブログに書いてみたりするしかない汗。
ヨギ相川圭子とかの成瀬なんとかとかのテキストを読んでいると、自分感覚とそうでない感覚をうまいぐあいにコントロールできるということが…つまるところ、ヨガの奥義だ秘術だと語られている気がします。そのへんのコントロール法があればいいと思うのですが…歳を重ねると自然とそういうのがうまくなるらしいですが、端的に即効性がほしいですよね。宗教とか自己啓発にハマる人というのは自分も含めて、そういう現実に相対する不和を理由にそういうものを求めるのであって、別にそれらを信じているとかそいうのは関係ないんだな(自分の場合は)自分の場合は効能とか結果とかの場合が多い。ただ現世利益とか理論的なものは科学によせ歴史にせよさほど興味がない。別に「ではどうしたらいいの?」と根掘り葉掘り聞きたいわけではない。キリストとかブッダとかババジがいるとか、いてもいなくてもいい(苦笑)。結果だけ求めている=欲深いとかいう批判もいらないです。神通力が使いたい魔法が使いたい…そんなことを言っていません汗。グルがいないと解脱できないとかそういうのも「わかった、わかった」って感じ。グルの有効性はわかりました。プログラミングもグルじゃないけど、独りでがんばり続けるのが無理であると思います、それと同様にテクニカルなことは人の手ほどきを受けないと継続努力ができませんし方向性も見誤りやすいです。でも、それが絶対かと言われるとちょっとちがっていろいろな方策があると思う。
大乗仏教における二乗(阿羅漢と独覚)がバカにされるのと一緒でさ、ITエンジニアも仏教もヨーガ界もおおかた偏見によってできているんだなと悟った。
何かで読みましたが確か学問の話ですが…35歳すぎると新しい理論に飛びつかなくらしいです。「事情はあれと一緒だな」て思うと分かった気になっちゃうからだと思います。それによって機会損失するのはもったいないけど、1つのことを更に極めていくという意味では機会損失もまた可也。
体を動かしても体調不良、体を動かさなくても体調不良…で動かさなくなるパターンに入りがちなのですが…少しずつ生活や仕事に支障をきたさない負荷というか後に残さないカタチで動かしていきたいですが、少し調子に乗って体を動かすと魂が身体から抜けていくような不快感・倦怠感が続く気がします…おとなになったら柔道ってできなくなる(する人が少なくなるの)のなんでだろう?って思っていますが、このせいだと思います。柔道って良くも悪くも全力でやる競技なので(ぼくたち大人だから熱くならないで乱取りしましょう…て約束稽古?してもだいたい無理でみんなムキになる)しかしBBJやっている人は…よくもまああのハードな乱取り(スパー)を40過ぎてやり続けているな!と感動するシーンもあります。50過ぎてくるとだんだんそこまで苛烈にやっている人は少なくなってくる気がします。
年齢ってなんだろう…健康ってなんだろう…。
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