社会人は忙しい。
忙しいと安心するところもあるが、忙しすぎると嫌になる。
…そういえば、仕事に忙しい時「仕事に追われている」と表現する人がいる。
「追われている」って何だろう?
私の感覚から言えば、仕事は前から迫ってくるものだ。
鬼ごっこに例えると、鬼に鉢合わせにはなるが、自ら鬼になったことはない。
時間は止まらないので、もたもたしていると前からきた障害にぶつかるのだ。
もしくは、ぶつかってくるものそのものが仕事であり、納期であるのか、それとも相手(クライアント)がいて適切なリアクションがとれなければいけないものか、その時々によってことなるものの、別に”彼ら”は、私の後ろから追ってくるわけではない。
時間は前から流れてくる。
「仕事に追われている」という表現を使う人は時間感覚が私と逆で、後ろから追い立てられているようだ。
おそらく時間の認知方法が違うから上手くイメージができない。
認知として時間が後ろから前へ行くと捉えているということになる。
そのような捉え方を当たり前に何の考えもなしにしているひとは、時間に追われることにならないか。
哲学的に時間は相対的なもので、前から来るか後ろからくるかもそうだし、追いかけられているか追っかけているかもそうだが、比喩表現に過ぎないのだそうだ。
私は昔から哲学には興味があるのだが、なぜか時間という解決が難しい概念にはあまり興味がない。物理時間として80年くらい生きれば誰でも死ぬし、平均寿命にたどり着かずに死ぬ人もいるというだけの話だ。
長い時間で物事を捉えれば勝手に自分のところに到達しちゃうわけだから、確かに追っかけられている気がしないでもない。
時間に追っかけられているか?、それとも時間を追っかけているか?、どちらでもいいが、より能動的なのは「時間を追っかけている」方ではないだろうか?
となると、私は個人的に、能動的に動いているニュアンスの強いほうがいい気がする。
というわけで、時間をおっかけて未来をつかみとろう(という気分でいよう)たぶん、そのほうが気分がいい。
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