聖書の言葉とは誰もが知っていると思いますが…「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉でググると、「人間が生きていくためには、物質的満足だけでなく精神的満足・充実も大切である」などという記述が出てくるそうですが、これは完全に間違いだそうです(汗)えー、そういうふうに解釈していました。
物質社会において精神世界の充足も大切だという例えにされたり、報酬(お金)も大事だが言葉などの目に見えないものも大切なんだという話にされたり、よくされますがけしてそういう意味ではないそうです。
この言葉は、イエスが悪魔と対決した時に悪魔が「おまえが神の子なら石をパンに変えて食べればよくね?」と言われた時の返答であり「人はパンのみで生きているのではなく、神の口から出る言葉によって生かされている」と言ったわけで、神の口から出たことば=精神世界の話というふうに解釈できなくもないわけですが、それがなんと早とちりらしいのです。
というのは申命記で、神の言葉を信じていればマナという食べ物がもらえた…という記述と関連づけられる話だからであり、神様を信じていれば食べ物には困りませんと捉えればいいのです。ゆえに神様を信じていれば、悪魔の誘惑にのっからなくていい(のるべきではない)。神の言葉を信じていれば食べ物(物質)には困らない、と解釈ができる。神の言葉を受け入れず、自分の力で物質を得るというのは、また悪魔の言葉を真に受けている態度に他らないので×。
…というーわけで、神への信仰があれば→食べ物には困らない、というそれだけの話を膨らまして「神というか精神性」と解釈するのは正しくない。
…が、まあ多数派がそういう意味で言っているのならば、正しいと認めざるを得ないかもしれませんけどね。なんだか偉そうなことを言っている人の言葉を正すのもどうかと思います(だいたい偉そうな人がこの例えで人に何かを教えてこようということがほとんどかと思います)。
イエスのように徹底的に正したいならそうすればいいのですが。いずれにしてもこのことを知っていルヒとは単純に「神様の言葉を信じれば、パンが与えれられるのだ」と解釈をしておくほうがよさそうです。ただし、精神性のほうが大事って言葉の例えとしての解釈の方が根強いし、そう思いたい人が俗世間には多い気がするので、この聖書解釈はなかなか正されないままである気がします(諦め)
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