戯言。人の人生観/世界観は大別すると2つしかない。

徒然草2.0

結論から言うと…

1.自分が死ぬまでが世界だと思っている。
2.自分が死んでからのことも世界だと思っている。

という2つの人生観・世界観があると思います。

未来予想は未来であればあるほどし為難(がた)いものだし、せいぜい私たちは子孫繁栄(第2世代の子と第2世代の孫)ぐらいのことしか考えられないのは仕方がないのかもしれない。このように思う私の考えがスタンダードだと言う気はないけれど、宗教や民族に関係なく、だいたいこの範疇が今生きている人にとって最も重要な「家族という課題」になるだろう。次に家族以外の人たちのためを考えてあげることになるだろう。死んだ人はもはや幻だし、これから生まれて生きていく人にも間接的にしか影響することができない。

私は別にどちらの世界観が優れているかということを論じる意味もあまりないと思う。ただし、あえて言えば、自分の死で世界が思っている(1)の人は(2)の人よりも魅力的には見えないのではないだろうか。自分の死で閉じていく世界観を持った人間と横の関係線を引きにくい。なぜなら時間軸の進行と捉えた場合の縦の線を引くのが、不可能だからでもある。70過ぎた政治家の良心を性善説で信じれば、彼ら亡き後でも地球は存在するから、南極の氷が解けて水没した地域が出てきて天変地異と戦争が勃発することを地球人類として容認できないということなんだろう。

自分がどちらの世界線かと言われれば、今はやはり(1)で考えていることが多い。まずは自分の見ている世界から変えていくことにフォーカスする時期だと思うからだ…しかし、中長期的には(2)で考えた場合も(1)の世界線が同時に上手く行くこともある。(1)と(2)がどこかで統合されることが望ましい。そして(1)よりも抽象性の高い(2)に吸収されて(1)が消えるのは一種の理想でもあるかもしれない。そういう意味では「意識的に(2)について考える時間を持つ」という習慣を作ることをするといいのかもしれない。

例えば、今自分がとっている行動は100年後の誰かに見られてもいい行動か?500年後の誰かに見られてもいい行動か?1000年後の誰かに見られてもいい行動か?そうすると、どう生きていけばいいのか?が見えてくる可能性もある。違う視点で物事を考えられる様になる。神の視点で世界を俯瞰できていると言ってもいいのかもしれない。少なくとも視野狭窄を解消して、正しく物事を見ることができるかもしれない。

徒然草2.0
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