戯言。「好き」を極めても「社会的な評価」を求めないことは可能か?

徒然草2.0

自分の好きなことは延々と続けられて、だからこそスキルも高くなるから、成功する確率が上がるとか言う人がいる。しかし、それはあくまで好きで取り組んだ結果、質が向上したことで市場から評価されるという条件が揃った時にのみ、言えること。必ずしも上手くいくとは限らない。というか、上手く行かないことのほうが多いだろう。「趣味は仕事にしちゃいけないよ」という人は「趣味を仕事にしたことで上手く行かず面白くなくなる」からそのように言うのだ。

いずれにしても「好きを極めれば上手くいく」というこの手の無責任な発言は、起業家、大学教授、クリエイター、スポーツ選手、などによって生産されることが多い。

…というより、そもそも自分が好きなことをやったら、社会に評価されなくてもいいじゃないか、という開き直りにも似たようなことを言う出す人もいる。

でも、それは、その人の主観的な意見に過ぎないだろう。

それに、好きこそものの上手なれという言葉を信じて行ったところで、ライバルが多ければトップに立つことは敵わないし、そもそも努力の方向を間違えていたら望まれる成果が出るとは限らない。

センスがいる。

もともと周囲が見えないアンバランスな人(私)であれば、好きだからこそ見誤るなんてことにもつながる。

で、ここからが本題だけど…

そもそも「自分の好き」と「社会的な評価」をつなげることが漁夫の利を狙った行為であり、世間ではそれをよしとするんだけど、欲張りではないか。

欲張り自体が悪いことではないが、自分の倍は欲張るセンスがない。

ふつうは、どっちかにフォーカスしたほうがいい。

自分の好きを追求するのならば、社会的な評価を捨てるほうが潔いとか思ってしまう。

もっともバランスが良いのは、「社会的な評価」を求めて努力するうちに、成果が出てきて(成果が出ていなくても)それ自体が好きになってしまうこと。この好循環が起こるのが理想。

でも、これもまさに、「自分の好き」と「社会的な評価」が合致した例だけど、こういう人が後続の人に実しやかに、「自分の好き」を極めれば「社会的な評価」が得られるなどと言い出してくる。

でも、好きでやっている人にそれは、必ずしも当てはまるものではないし、むしろ好きを極めるなら、それは「嘘」と割り切って無視するくらいがちょうどいいなと、最近は思っている。

とは言え人は欲を出して「社会的な評価」を出していくこともあるわけですし、それ自体を否定する気はないけれど、現在の自分のスタンスを先に決めておいたほうがいい。

・どっちよりか?

・どっちをとるのか?

・どっちをすてるのか?

あとは、これ大切なことですが、社会的な評価を捨てている人に社会的な評価をもっと求めなよ!というのはいい迷惑。

大きなお世話でやってしまいがちですが、社会的な評価を求めているが質が上がらない人に対して、あれこれ駄目だしするのより(社会的な評価を得ようとすれば、批判されるのは当然)、ある意味「わかってない」んじゃないか。

徒然草2.0
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