時間をかけて努力をして勉強するなんて、バカのすることだ⋯そんな時代になったらしい。
平凡で要領の悪いサラリーマンの俺は、ある朝、日経新聞の隅に目を疑うような広告を見つけた。
「脳に知識をインストールするだけで、英語・資格・MBA・専門スキルが手に入る」
そんな夢みたいな話に、電極ヘルメットを被った笑顔のビジネスマンの写真が添えられていた。
監修は有名大学の教授らしい。
ちょうどその頃、同期の同僚はTOEIC900点を取って、社費でMBA留学が決まり社内でスター扱い。
⋯それに対して俺は何の成果もなく、完全に居場所を失っていた。
藁にもすがる思いで広告の番号に電話し、指定されたクリニックへ向かった。
そこにいたのは医学博士を名乗る男で、脳内の神経回路を電磁波で再編成するという施術の説明を受けた。
リスクはふたつある。
効果に個人差があることと、知識を得ることで他の興味を失い人格が変わる可能性があること。
それでも、俺は120万円のローンを組み、施術を受けることにした。
初回から効果は抜群だった。
買ったばかりのTOEIC本を一晩で読破し、翌朝には英字新聞がスラスラ読めた。
「これで俺も海外留学でMBA取得だ」と思った。
だけど、その代償は大きかった。
感情が薄れ、趣味にも人間関係にも興味がなくなった。
恋人も、学生時代の友人も離れていった。
俺はただ、生産性だけを追い求める、無駄を排除した機械のような人間になっていった。
やがて世界的な企業のCEOにまで上り詰めた。
億単位の年収、高層ビルの最上階、常に最新のスーツとAIアシスタント。
誰もが俺を羨んだ。
だが、心は空っぽだった。
喜びも、怒りも、悲しみも──全部、どこかへ消えてしまった。
そしてある晩、ペントハウスの静まり返ったリビングに、突然インターホンが鳴った。
扉を開けると、そこに立っていたのは、あの医学博士だった。
背後には、黒いスーツに無表情の男たちが二人。博士は静かに言った。
「動作不良(バグ)が確認されました。回収に来ました」
その言葉を聞く前に、黒服がサプレッサー付きの銃を構えた。
一発。視界が揺れ、意識が落ちていく。
目を閉じる最後の瞬間、自分が誰だったか思い出そうとした。
でももう、名前すら思い出せなかった。
翌朝、CEOの席には、俺とそっくりのラバーメン──感情を持たない、完璧なゴム人形が座っていた。
誰も俺が変わったことに気づかなかった。
そして今日も、効率よく俺は成果を出し続けている。
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