ベーシックインカムは自由主義者が雇用の安定や年金をぶっ壊すことを前提にした謀略だ…という意見などを、よくよく調べるようにしています。
個人的にはベーシックインカムのデメリットとメリットを語る時に忘れてはいけない視点があると思っていて、それはベーシックインカム制度のデメリットではなくて、もし制度がうまく機能しなかった時…つまりバグ(システムの運用計画で洗い出す事ができず、潜在的問題リスクとでも言えばよいのだろうか?)が、最悪な結果をもたらした場合に、どれだけの人にどれだけの不幸がもたらされるのか?ということは、制度を設計する段階で何度もシミュレーションしておく必要がある。
それを自己責任と言ってベーシックインカムによって生まれる弱者やマイノリティの主張を切り捨てないようにするには一体どうしたらいいのだろうか?その辺は予めよくよく突き詰めて捉えておく必要がある。特にベーシックインカム肯定論者は、その枝葉末節な暗部には些細なものと捉えて目をあまり向けないと思います。竹中平蔵や堀江貴文などの経営サイドかつ都市部で豊かに暮らす人は特にベーシックインカム制度を肯定しますが、単純に(彼らにとって)コストダウンできる!生産性があがる!という発想で、彼らには利潤を求める”バイアス”みたいなものがかかっていると思います…心理学的になんと言えばいいのかわかりませんが。まあ、そんなふうに私は理解をしています。
ベーシックインカムで貧困層が拡大して逆に資本主義経済の強者は富んでいき国民の経済格差拡大に拍車を掛けただけという結果を生み出す可能性などもありえると思います…それが問題点その1
ただ、若い人に少しでもお金を与えると同時に彼らの選択肢を増やせるという意味では、制度設計上のその手のバグを取り除けば、ベーシックインカム制度は「あり」だと思います。結局のところ現代日本(というか少子高齢化の問題にあえぐおおくの国々)での問題は高齢者に金融資本が集中していることなので、それを解決する手段としてのベーシックインカムはありです。
ただし、前にも述べたが「自己責任性」が高まる側面があるので、計画的にお金が使えない人には結果として今以上に不幸になる可能性もあります。毎日ごはんが食べられる社会になると”飢え”という驚異が取り除かれる…飢えることが不幸でご飯が食べられれば幸せだという基準で生きている人には理解し難い不幸がそこで生まれるような気がしています。つまりベーシックインカムによる幸不幸はケース・バイ・ケースで色んなパターンが考えられると思っていた方がいいと思う。
特に老齢になった時に資産形成ができる人とできない人の差は、あまり縮まらないのではないだろうか。ベーシックインカムは不幸最小化という理念に沿った思想に、自由主義という理念が加わったものなので、個人の選択の結果に結局のところ所有する資産の差は生まれる。むしろ今以上に自己責任論を押し付けられる社会になっていることを手放しで是としていいのか?という議論は常にされることになる。高度資本主義社会を維持しながら共生を目指すに過ぎない…そのことを国民は理解しているか?…それが問題点その2
財源が足りるのか?実現可能なのか?も私の中では問題点その2に分類されるのですが…ようは想定されないデメリットが”その1”で想定されるデメリットが”その2”であるという感じです。で、想定されないデメリットというのは、自然災害的なものというよりは人災によって起るもの。自然災害は対処できても人災は対処できない場合がある。(現在の政治システムを含む世相の有様なんかを見ていて、染み染みそんなことを感じている)
…問題点その1とその2は、結局のところ富むものと貧しいものが分かれるだけだ!と同じことを言っているのですが(苦笑)ニュアンスが違います。ちょっと自分でも何を言っているのか整理がついていないのですが、「問題点その1」を見つける視点で物事を考えていく必要があるな!という事を言いたい。そんだけ。
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