お釈迦様は輪廻転生について”否定した”とか”語らなかった”と言われ伝えられている…にも関わらず、日本の大乗仏教は土着の信仰と釈迦が否定したバラモン教の思想とかと合体して、ふつーに輪廻転生を認めてしまっている(汗)そこのところ(釈迦の思想のほんとのところ)にこだわる日本人は、ほんの一部の仏教者と思想家ぐらいでしょう。
こだわるというか違和感が不快に近いレベルにまでなっている。
…そういう意味では「転スラ」ならぬ「転釈迦」という具合なことが起こったら大変です。
なぜならば、もし転生して釈迦になってしまったら…輪廻転生を認めざるを得なくなり、その釈迦が語った悟りもへったくれもなく本末転倒です。
てか釈迦になるならないに関係なく、転送した時点で確固たる自我があることになるわけで、まーまー釈迦の思想が崩れる気がします(うまく言語化できないけど)
それこそ無我なんてことも言えなければ、空も何もあったもんじゃない(空は釈迦の思想を分かりやすくしたものだから、イコール釈迦の思想と言ってはいけないのかもしれない)自我を認めて時空を越えて輪廻することを認めねばならず…それは釈迦が否定したかったその時代の宗教と変わらないモノの見方に成り果てるが…。そうなるとなぜ転生したのか?というところが問題なってきます。
転生可能な肉体と魂が定義できると現世に対して私達はあまりにも執着しなくなり…早い話が現代の秩序が明らかにぶっ壊れるでしょう。
現代における輪廻の思想は、一部の過激な宗教団体が政府にとって無害にした状態で認めるものであって、その部分を強烈に前に押し出したらイスラム原理主義のジハードが勃発して国家の秩序もあったものではない(あ、これはこれで脚本としては面白いかもー)
だが、そんな小説はあるんだろうか。
転生したら社会の思想を否定せざるを得なくなった件…的なラノベはあるのかないのか。
まあ、あっても実にくだらないんじゃないか(書き手次第だろうけどさ)
たぶん、私のようなマイノリティしか楽しめないwww
そんなことをふと思いました。
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