【戯言】記憶の断片が繋がらない。

徒然草2.0

現代社会で役に立つ人であるためには、勤勉でなければならない。

より正確に言えば、たくさんのことを頭に記憶しておいて、それをつなぎ合わせて適切な状態で取り出せないといけない。

それができていないと、頭が悪い人であり社会的な価値はない。

自分の場合、物事を調べるのは好きだが、記憶が苦手ですぐに消し飛んでしまう。

消し飛んでしまったものをつなぎ合わせるのは不可能で、適切な状態で取り出すことはできない。

インプットとアウトプットを繰り返すが、繰り返したそばから忘れていく。

早い話が、頭が悪い。記憶の断片が繋がらない。

音楽を作っていても数秒のフレーズを見つけるだけで満足している。

悪く言えば原始的な段階で止まっている。

それらをつなぎとめることを習慣化するためにブログを初めてた。

…というのは言い過ぎかもしれないけど、そういう目的の1つはなくはない。

しかし、ふと一歩離れて傍目に見ても上手くいっているとは言えない。

ブログが不足している脳のワーキングメモリにして、記憶の断片を集めることはできる。

…というか断片化の数はいくらでも増やすことが可能であるが、それを繋ぎ止めるのが最近どうも億劫に感じてしまう。

断片だけ集めて満足してしまう。

断片だけが散らかっていて、すべてがなにかの部分でしか無い。

部分だけのものがいくら積み上がったところで、部分の集積物であって全体を綜合した織り物にはならない。

時々、断片を並べてみても、それが一体なんのパズルのピースなのか?いや、パズルのピースであるのか?すらほとんど認識できない。

パズルのピースですらない、どこぞの海砂利に過ぎないものが散らばっている。

これらを組み合わせて何かしてやろうなんて、ほとんど狂気だな。

なんでそんなことに今まで価値があると思いこんでいたんだろう。

ほんとうは無価値なのに価値があると思いこんでいた。

でも、価値がないことに気がついた。

ある意味これは、老いて冷静に物事が見られるようになったと喜ぶことなのか?

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました