現代社会で役に立つ人であるためには、勤勉でなければならない。
より正確に言えば、たくさんのことを頭に記憶しておいて、それをつなぎ合わせて適切な状態で取り出せないといけない。
それができていないと、頭が悪い人であり社会的な価値はない。
自分の場合、物事を調べるのは好きだが、記憶が苦手ですぐに消し飛んでしまう。
消し飛んでしまったものをつなぎ合わせるのは不可能で、適切な状態で取り出すことはできない。
インプットとアウトプットを繰り返すが、繰り返したそばから忘れていく。
早い話が、頭が悪い。記憶の断片が繋がらない。
音楽を作っていても数秒のフレーズを見つけるだけで満足している。
悪く言えば原始的な段階で止まっている。
それらをつなぎとめることを習慣化するためにブログを初めてた。
…というのは言い過ぎかもしれないけど、そういう目的の1つはなくはない。
しかし、ふと一歩離れて傍目に見ても上手くいっているとは言えない。
ブログが不足している脳のワーキングメモリにして、記憶の断片を集めることはできる。
…というか断片化の数はいくらでも増やすことが可能であるが、それを繋ぎ止めるのが最近どうも億劫に感じてしまう。
断片だけ集めて満足してしまう。
断片だけが散らかっていて、すべてがなにかの部分でしか無い。
部分だけのものがいくら積み上がったところで、部分の集積物であって全体を綜合した織り物にはならない。
時々、断片を並べてみても、それが一体なんのパズルのピースなのか?いや、パズルのピースであるのか?すらほとんど認識できない。
パズルのピースですらない、どこぞの海砂利に過ぎないものが散らばっている。
これらを組み合わせて何かしてやろうなんて、ほとんど狂気だな。
なんでそんなことに今まで価値があると思いこんでいたんだろう。
ほんとうは無価値なのに価値があると思いこんでいた。
でも、価値がないことに気がついた。
ある意味これは、老いて冷静に物事が見られるようになったと喜ぶことなのか?
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