何度か書いていますが個人的には死刑反対の立場です…死刑はダメだけど私刑ならいいのではなんて思うことはありますが(汗)有罪か無罪か分からない囚人の保護も大切だと思いますが、政府に寄る代理の殺人行為に問題があると思う。この「カレー事件の死刑囚「執行に日々恐怖」弁護士に涙で訴え:朝日新聞デジタル」事件に関して言えば当時は真っ黒だと思っていましたし、身から出た錆だなという思いもあるのですが、証拠がない。限りなくホワイトな感じがします。保険金をもらうという動機はあってもカレー鍋にヒ素をつっこむ動機が皆無です。これで死刑にしたら、単純にまずいのではないでしょうか。自宅が放火されていることから鑑みても、周囲に恨みを持った人がいて罪をなすりつけられるという確信をもった真犯人がいて、カレーにヒ素を混ぜている…というそのような事実があると考えたほうが”確か”な見方で自然だという気がしてしまいますね。なんにせよ犯人は一番得をする人物ではないのでしょうかね。林真須美被告は損をしても利を得てません。
さて、少し話が変わりますが最近、銀河英雄伝説を見ています。自由惑星同盟のヤン・ウェンリー提督はリベラル的な立場の理想的な人物ですが彼は「国家」も「軍隊」も道具に過ぎないと割り切っています。諮問会議でその議長が言った「お前は無政府主義者か?」の問いかけに「菜食主義者だ」などと頓珍漢なことを言っている(苦笑)。そう言えば少し前の話で帝国側のキルヒアイスがお亡くなりになってしまった。ヤンがお亡くなりになるのは何処かで読んだが仕方がないとして、グリーン・ヒルやユリアンとかのほうがキルヒアイスよりも生き残って欲しいと思ってきたよ…。ちなみに民主活動のデモ活動でお亡くなりになったヤンに想いを寄せていた女性の名は忘れてしまった、だれだっけ。
…で、話が逸れましたが…私が言いたいことは「死刑」もまた道具に過ぎません、てことです。(国家にとって)必要だからあるのです。しかし、死刑によって何が一体もたらされるのでしょうか?これが不明です。だれか私を納得させる説明をしてください。
よくある意見をそれとなく列挙しますと…「遺族のため」…刑罰ってそもそも被害者遺族のためにあるのではないですよね。「税金の無駄だから」…だったら裁判を効率化するか経費節減するか囚人が社会活動に参加して税負担分の労働価値提供をさせられるような工夫をすべきなのでは?「更生が不可能だから」刑務所の中なり何らかの監視された空間で生活してもらえばいいのでは?人口対比で死刑囚はそこまで多くありません。あと不可能と決めつける根拠は?いずれにせよ、カレー事件のように冤罪のまま「道具」を使って終わりにしていいのでしょうか…というわけで死刑って道具が一体なんであるかが実は私達はまったく分かっていないのです。死も生も分からないのですから当然と言えば当然です。分からない道具を行使して不可逆な死の状態にしてしまう…しかも人の命を奪うという基本的にあってはならない報復のような行為をする…これって人が作った便利な言葉で言い表すならば、極めて”野蛮”じゃありませんっかねえ。
無差別に殺人をするくらい意味不明な野蛮な行いではありませんか。
はたして「死刑」という道具が使われる理由や目的などが不明瞭なままに、この道具をさもありなんと使うのは、いかがなものでしょうか?甚だしく疑問なのです。
コメント