これからも将来の先行きは不透明であり曲りなりにも技術で飯を食っている以上、
趣味に時間を割いている時間もないのだが…現実に何かフィクションより面白いことが起るそんな期待もない。
別に、現実がつまらないからフィクションに逃げ込むために「小説を読むものだ」などと言いたいわけではないのだが、、
現実より違うテイストの世界を自分のなかに拵えたほうが良さそうだ…
よく、40だか50になったら「趣味をしろ!」とか言うのが、分かるようにな年齢になってきた。
現実とは違う世界を心のなかに意識的に作り出していかないと「やってられない」感じになるんだろう。
自分はそこまで特定の趣味があるわけではないが、
無趣味ではないと思うので、何もやることがなくて困ることが無いのだけど、、
毛色の違う取り組みとしては「また小説でも読む習慣をつくろうか」と思い始めている。
また、というのは20を過ぎたころから小説の類いをほぼ読まなくなったが、読んでみよう、ってだけの話に過ぎない。
むかし、わりと本を読んでいたつもりだったので…その頃に戻っていく感じだからけして初めての取り組みではない。
ただ、今、なんとなくフィクションの小説を読んで思うに…以前はあれこれ「僕はこう感じた」ということがはっきりしていた気がするのだが、
今いざ何も前知識なしで読んでみると「こういう感想でいいんだっけ?」という疑問符が付く状態になる。
もちろん、感想なんて十人十色で、気にすることではないのだが…。もともと、明後日の方向を向いた読書感想を書くのが「俺」だったはずなのだが、
自信がない。自分のために四十過ぎたら「趣味をしろ!」のハズが他人の目を気にして小説の感想を書くというのは、これまた目的と行為が一致していない。
好き勝手に読んで好き勝手に感想を言えば、目的と行為が一致する。なのにそれだと不安になる。本末転倒だ。
いずれにせよ、本に浸るのを思い出すのって、結構これまた難しい。
昔のように読む必要もなければ、昔のように読めるはずもない。
年齢という変数が増大していけば、読んだ感想というアウトプットもまた変わって当然なのに、
前と同じように読みたいという欲がある。としをとってからは、出していい欲と出してはいけない欲がある気がするのにな。。
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