個性をぶつけるか、個性をひっこめるか、悩んだら…
色んなシーンがあると思うが、個性をぶつけたほうが、結果としてよかったのではないか?
個性とか言わずに我を出すか出さまいかと言ったほうが適切かもしれないが同じことだと思う。
これは人間にとって生きとし生けるものにとって永遠の課題なのではないだろうか。
個性をぶつけるというのは、言い換えれば、自分が言いたいことを言うこと。
言葉を発した以上、その言葉に責任が伸し掛かるが、言わずして終わるよりはずっといいのではないか。
しかしながら、聖書の金言にもあるように、「口と舌を慎む人は、悩みから自分を守る」みたいな言葉は多いわけだ。
口は災いの元とも言う。
言わずして、スルーしたほうがいいシーンが大人の世界には多い。
特に日本人には「言ったら終わり」な言葉が多い気がする。
もう絶対に関係性が修復不可能になる経験は自分がそう思い込んでいるものも含めていっぱいあるわけで(汗)、
そういうものを考え他に考えなしに結構な数を口にしてきた気がする。
ただひっこめたところで、それでも、仮に口が上手くても長期的に上手くいかなかった気がする。
幸いなことに口が災いにして命を失う確率が、まだ日本においてはそこまで高くないのではないかと思います、
というのはいささか自己制御ができていない甘えではあるのですが、、
自由主義ではない国だと、どっか見えないところに連れて行かれて集団リンチと村八分イベントのフラグが立たない。
まあ、日本もそういうところがまったくないわけではありませんが…全世界レベルで見れば集団からズレても、特に都市ではなんとかなる部分がある…
と、自分にはちょっと甘いところがある。ただ、甘い自覚はある。が、さすがに殺されるところで自ら銃を出すバカはいないわけで、
危険な環境ならば自分ももう少しかんがえて舌を出す。不自由な専制政治が為される国では舌が自然に麻痺するだろう。口の堅さを吹聴しよう。
けれど、何を言ってもそう痛い目に遭わない(表向きには)そういう環境では個性的な我を仕舞うと弊害が出てくる。
いろんなデメリットが有る。思い切ってひっこめるのは辞めたほうがいい。
思い切ってひっこめるもひとの生き方かもしれないけど、それができるうちはまだいい。
きっと、私の言っていることが伝わらないことだろう。
自己責任論じゃあないけれど、こればっかしは自分の言葉を吐いたため、自己責任は免れないのかもしれない。
それでもなお、我が出せた個性が発揮されたことを喜ばしいことと思いこそすれど、他人に何を言われようと待ち受ける苦難との天秤をかけなくていい。
何を言っているのか分からない?うん、俺も何を言っているのか分からない。
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