別に信仰心が熱いわけでも何かの宗派に属している訳でもないのですが、、、
それとなく心のなかで「南妙法蓮華経」と唱えていることがあります。
日蓮が法華経のお題目を唱えているだけでも救済されるなどと言ったからかどうかという理由などはっきり言ってでうでもいいのですが、
たしかにお題目には「効果」がある気がするんだからしょうがない。
祖父が亡くなる時に法華宗にサークル活動的な感じで入ってお葬式でお題目を散々聞かされたせいなのだろうか、
なんかしらやはり染み入るものがあるんですよね。
あと個人的な見解では日蓮宗というのはキリスト教に似ています(キリスト教の人にいうとバカにされるでしょうけど)
あとなんか染み入るものがあると同時に法華経というか宗教全般に対して拒絶する心も持っている。
だからでしょうか創価学会の人にひどい勧誘をリアルで受けたことがないのに、ひどい勧誘を受けるという悪夢を見た。
うーん、なんだか体が拒絶しているんです。
これ一体なんなんでしょうか。
良い影響と良くない影響を同時に受けている。
まあ宗教的に言えば信心が足りないから魔境に堕ちるのか無間地獄に堕ちるのか分かりませんけど、、、
とにかく修行不足ってことにされるのでしょう(苦笑)分かりやすい。
物事がうまくいけば法力で、うまくいかなきゃ悪魔のせい。
分かりやすい単純思考。
まあ、そんな善悪二元論をすっと受け入れるほどに単純な考え方で生きられたら、
ある意味とても幸せだと思うんですが…どうも世の中そうそう単純なものじゃない気がします。
物事を難しく考えるのはバカだって誰かが言っていた気がするけれど(稲盛和夫?)
じゃあ単純に考えればいいのだ!というのもやはり違う気がします。
分からないものは単純に考えるのは技術かもしれないと思う一方、
分からないものはやはり難しいのです。
善とか悪とか良いとか悪いとか好きとか嫌いとか、そういうのはもともとすごい難しいものなんで、
別に単純化して、どうこうなるもんでもない。
無間地獄に堕ちる夢っていうの昔よく見ていて最近は見なくなりましたが…
だだっ広くてなにもないところ…そこにはなにもないようでなにかがあるのだけど、
慣れるとなんとなくこんなものかと受け入れられる。
両方あるもの1つに絞るのが「考へる」ではないと私は思う。
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