『アイデア量産の思考法』という本を読んだ感想

徒然草2.0

人間の観察をもとにウォンツ(=人間の潜在的な欲求)を明らかにしていく。

アイデアを出していくことが捗る本で、アイデア出し100本ノックとして100の人間観察にかんするトピックが詰まっていて、とりあえずザッピング読みをしているだけでも面白い本だった。

個人的に「これいいな」と思ったのが、空想上司が評価「あなたはすごい」かな。空想上司を思い浮かべたり、Vtuberでその手のキャラクタがいるらしい。

人はみんな評価されたい生き物であるということで、まあ社会では評価される言葉をかけてくれることは稀中の稀で、何も評価されない=無視すら当たり前に行われる。まあ、別に常に褒めてくれなくてもいいのだけれど、適切なタイミングで、具体的な目標の確認ができたり、適度な緊張感を与えてくれて、達成時のフィードバッグや失敗事の修正フォローを的確にしてくれる上司的な存在がいたらいいよね。

AIで管理職が不要になるという人がいます。仕事に労働者が介在する以上、行動の結果に対してフィードバックをする必要があり、そのコミュニケーションが最適化されていることが望ましいと思うのは当然なことでしょう。理想的な〇〇さんという「他者」を想定したっていい。他人とは人間にとって面倒なものであるというのは過去のことで、私たちは思い通りの振る舞いをしてくれない他者ではなく、思い通りの振る舞いをしてくれるAIを好んで然るべきではないだろうか。

…けれど、一般的に上司は部下に合わせるものではないわけで、かといって部下に合わせない存在であるべき、というわけでもない。ようは、管理職の役割としては、会社として生産性が上がればいいだけで、個人のパフォーマンスが上がればいいわけで、それはもはや人じゃなくてもいい気がしているこのごろです。

ただの他人嫌い?対人恐怖症か?w

また、規範となる理想の上司像なるヴィジョンをコンピュータ上に作り出せば、従業員はその偶像に近づこうと努力をすれば自然と理想な人に近づいていくことができる。

完全なる個人の想像物としての空想上司というと、何だか言っている本人を客観視するにエゴイスティックな感じもするのでは?と私自身思ったりもしたが、その空想上司というAIに社会通念上において良いと思われるイメージを重ね合わせられれば、それは私たちにとって他者/人格と相違ない。人材育成や教育において、一役買うサービスになるのではないだろうか?

私の生き方のお手本(ロールモデル)は、AIとしてプログラムされたものである。という人が現れてきそうだ。AIが寝ろと言うから寝る。AIが栄養価のあるものを食べろと言うから食べる。AIが仕事を評価してくれて私の生産性が上がる。AIが旅行を勧めるので旅行をする。AIが転職を勧めるので転職をする。なんだか、AIにこき使われている気がしないでもないが、それが正しい選択ならば正しいのではないだろうか。正しい選択をするAIの選択をすべて鵜呑みをすることは正しい選択であるか?という哲学的な疑問は残るかもしれないが。それは、実際にAIを神(デウス)として頼り切る人(ホモ・デウス)が決めればいいことで。とりあえず過渡期の私たちはAIを売ってAIに支配される世の中を作り上げて行くことで糊口をしのがねばならない。

売ろう!管理職のAIを!

「御社の給与が高いだけで成果を出せない管理職を、空想管理職に置き換えたらコスト削減して、スタッフのエンゲージメントも爆上がり!」という感じで、管理職のみなさんには不幸に聞こえるやもしれない、少し残酷な営業トークで売りまくりたい。

あ、理想の顧客でもいいかも。クレームを言ってこない(違

いや、クレームを言ってくれるから改善するので、有意義なクレームだけをしてくれるAI顧客であることが理想!これは…

理想の彼女とか、理想の奥さんとか、そういう考えはあったけど、これって対象は誰でもいいんだよな。あまり変なことを言うと顰蹙を買いそうだけど、理想な人物を仮想現実世界に作り出せる時代になっていくことは必定。

その場合、”理想”の部分の定義が重要になっていきそうでもある。

いずれにしてもAIは私を幸せにしてくれるという観点で、未来を夢想するのは楽しいことだ。

徒然草2.0
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