【戯言】誰がどう見ても正しいというについて正しくないと思うこととの折り合い

徒然草2.0

真面目な人や理屈っぽい人は「正しさ」にこだわります。

逆にその人にとって「正しくない」ことに気がつくと、とたんその行動がとれなくなります。

…これは、私のことです。

はじめに断っておくと…私が真面目で理屈っぽいと言いたいわけではありません。

たまに、私をよく知らないひとが、そのように言ってくることもあるので、たぶんそう見られるところがあるのだと思います。

その外面的な性質はともかく…私の場合は、善悪とか、正誤とか、好き嫌いとかにあらゆる自分の課題が帰結するのは確かなようです。

これが、私自身の思考のクセなのでしょう。

自分にとって「正しくなくい」と思うことがどうやらできない。

非効率だったり周囲にバカに見えても、自分の中に葛藤が生まれて葛藤が生まれない方に従うのがいい。

極端な意固地は、客観的に「極めて正しくない」と思うので主観的に「正しくない」と考えたほうがいい(1)と思いますが、多少の客観的な「正しくない」ことは主観的に「正しい」と考えたほうがいい(2)と思うこともあります。

これは、ケースバイケースなのかもしれませんが。

少なくともトータルコストでも結果面を見ても(2)の方が明らかにいいなと…最近よく思う。

これは例えで、(1)にせよ(2)にせよ、傍から見たらいずれによせ「正しくない」わけなで、誰がどう見ても意固地なのでしょう(汗)

この心のリアクションについて、私がまだ若い頃は「子どものわがまま」「年寄りの開き直り」だって思っていたところもあります。柔軟性に欠けると、こどもっぽさやとしよりに見えるらしい。ただ、今になって思うと、良くも悪くもこれはその人の「性質」だから受け入れるより他にないんだと思います。

消えない心のクセを不必要に消そうとすることに、他人が関与する余地はあまりないと言ってもいいと思います。

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