【戯言】渋川剛気によって描かれた合気道における理想世界

徒然草2.0

これまでの生涯で市民体育館で数回ほど合気道をやったことがある程度の人が、わかったつもりで勝手に語っていいものか分かりませんが…

個人的には、合気道つーか武道における理想的な世界という抽象的なものが、確かにある!と思っています。

板垣恵介のグラップラー刃牙に出てくる渋川剛気の一番の名言ですが…個人的には地下闘技場の愚地独歩戦のこれだと思います↓

理想的です。何もしてこない相手には何もする必要はなく、従ってそこに争いも生まれようもなく、勝ちもなければ負けもない。理想の世界です」この後、「ただし、これは試合じゃ。おぬしの技とわしの技、どっちが上でも構わんというには、この渋川、若すぎる!」というトーンのセリフが続いて、攻撃を仕掛けに行くわけですが。地下闘技場には攻撃姿勢がないと教育的指導で失格するなんてルールはないので「何もしないでいる」もアリな気がするんですけどね。

渋川剛気は、はじめは好々爺のふりをしているが、極めて好戦的でチャラい性格の人物であり、本人は自分で「まだ若いから」と常々言っているが、これはおそらく年齢の問題ではない。

彼の昔から変わらない性格であり本質的性格なのでしょう…。

護身の理想から言えば、血を好むのは真逆な性格なんですが…。

こんなのは合気道やる人じゃない!とか怒る人は…あ、いや、私も以前は違和感を覚えていたのですが、最近これは…合気道の理念と渋川剛気の性格が真逆だからこそ、護身の理想が映える!、と言うべきなのかもしれないと、思えてきました。これは私の勝手な印象ですが(苦笑)実際に合気道やっている人は、ピリピリしている人が多いです。柔道家のほうがどっちかというとピリピリ感がない。

いや、ピリピリ感が悪い方向で出るのは、相手に情報を与えているわけなので、本当に強い人は何も情報を与えてくれない人だとは思います。

事実、渋川剛気も最初は好々爺なわけで、あの状態を常に保っていないといけなかったわけです。

だが、渋川剛気はボウヤでした現役でした若すぎました…闘気をムンムン放ちながら愚地独歩に攻撃を仕掛けに行った…逆に菩薩様の境地に至った愚地独歩は慈悲?の正拳突きでカウンターに成功!

渋川剛気は愚地独歩という強敵を前にして、ワクワクせざるを得ななかったのでしょう。

相反する2つを持ったキャラだからこそ、モデルとなっている塩田剛三と明らかに性格が違う(と塩田剛三に合気道を習ったことがある人が言っていた)わけですが…護身の理想の世界が燦然とこれ輝いているのだというべきだ。と言いたい。渋川剛気を完璧合気道人間に武道と性格を統一してしまったら、非常につまらない目立たないキャラになっていたと思います。二面性があるからこそ、この戦いが描けた。グラップラー刃牙の読者というか多くの人は格闘技の好きは好戦的かつヤンチャな部分をクローズアップするのですが…否!理想的境地を全面に語っているところこそが渋川剛気の魅力だ…だから、この設定にした板垣恵介すごい!と言うところです。それが改めて言いたかった。

愚地独歩VS渋川剛気は見れば見るほど、こういう描き方しかなかっただろう…としか思えない。

…みたいなことを、護身とはなにか…みたいなことを考えていて、ふと思いました。

徒然草2.0
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