【戯言】たまたま生きていることを忘れている私たち

徒然草2.0

「生きている奇跡」とか「生きている不思議」とか言ってもいいかもしれない。

神様とか仏様とか他人とか宇宙でも何でもいいのですが、自分意外の第三者にしてそうされているのなら「生かされている」になるのだろうか。

そういった主観を排したら何と言えばいいのか。

究極的には生きていることや死んでいることに無自覚であるということになるだろうけど、そういう人もいるかもしれないが…なかなか自覚しないというのも自覚している人には難しい。で、あえて私なりに一番近い表現をとると…私たちは「たまたま生きている」と言ったほうがいい気がする。

例えば、コロナ感染症という人類の試練について一言言えば…国に対して税金を支払っているので手厚い医療サービスが受けられて当然で、自分たちが選んだ政治家がベストな仕事をしてくれて、行政や医療の制度や仕組みを提供されて当然であると思うと、不満の1つや2つも言いたくなる。あらを探せば利権問題だの他国と比べて遅れているだの色々と出てくる。批判をしていい方向へ解決を図る方向へ動かすのも民主政の国に住んでいる国民としては大切なワークだろう。しかし、行政のサービスは与えられて然るべきものでもなければ、別に政治に参加している気になれど限りなく限界があるもので、さほど期待していないくらいが精神衛生上丁度いいと言ってしまったらプラグマティックというよりは事なかれ主義と言われるかもしれないけれど、そんなスタンスでいたほうがいいのではないかと最近は思っている。ニュースを見ないで生きていくほうが余計なことに気を追わなくて済むなら、あえて遠ざかる生き方というのもありなのかもしれないみたいなニュアンスかも。そもそも自分意外の第三者に対する関係性が私たちにとってストレスの根源なのだから、そういうものを積極的に外していくといいのでは。

少なくとも自分の場合は、もっと自分が”外野な存在”だと思っていないとやってられないところがある。

本気で政治ニュースを見ているって、一体どんな状態ですか?と言われると説明が難しいが(汗)

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