「スペイン語とカタルーニャ語って、日本語でいう標準語と関西弁みたいなもの?」ってChatGPTに聞いたら、「方言と言語は明確に違います」って正論で返されて、ちょっとChat-GPT疲れしているこのごろです。
⋯いや、そうなんだけどさ。そうじゃなくて、「まあ、そんなもん」くらいの温度感で返してくれてもいいじゃん、と思ってしまう。
いっそ、ちょっといい加減な返事しかしない生成AIがあってもいいんじゃないか。昔の人工無能に、IQを10くらい足したやつ。あれの現代版。そういうの、むしろ欲しい。
最近、Xの表示が変わった気がする。海外で話題の投稿が翻訳されて流れてくるようになった。
ウィットのある投稿もあって面白いんだけど、それ以上に、どうでもいい投稿もかなり多い。
パクツイっぽいものとか、昔どこかで見たようなやつとか。
グローバルとローカルの境界がなくなってきている感じはする。それ自体は悪いことじゃないけど、ローカルな空気みたいなものは確実に薄くなっている。
これは イーロン・マスク の考えなのかもしれないけど、もう少しどうにかならなかったのかなと思う。
今のX、なんとなく Quora っぽいというか、読ませる投稿がずらっと並ぶ感じになってきている。
そもそも、人ってそれぞれに合った情報の距離感みたいなのがあると思う。
自分がいて、その近くに家族とか友達がいて、もう少し外にローカルなコミュニティがあって、さらに外にグローバルがある。その間にも細かい層がいくつもあるものだ。
SNSは、そのレイヤーごとに使い分けているものだと思うけど、最初からそれをまとめて扱える設計ってできないのかなと思う。知人はLINE、ちょっと趣味や昔の人の様子はFacebook、ロカールなmixi、趣味領域はコレみたいな。
全部がひとつのタイムラインに混ざると気持ち悪いっていうのも分かる。でも、自分の頭の中って、朝ごはんのことも、どこかの国のしょうもないジョークも、同じ場所に並んでいる。
だったら、最初から一緒でもいいんじゃないかとも思う。分けたい人だけタブで分ければいいし。
ひとつのプラットフォームでそれができたらいいのに。
ここまでいろいろ考えたけど、結局のところ、「Xが変わってしまった。前のほうがよかった」っていうだけの話かもしれない。
ただのノスタルジー。
京都で行方不明になった11歳の男の子の件、Xでは名探偵コナンが大量発生している。「あれれ、おかしいや」と言わんばかりに推理を披露している。
でも一番おかしいのは、その推理をSNSに投稿してしまうことなんじゃないかと思う。当たればドヤ顔、外れても何もなし。
同志社経済高校の生徒が、辺野古で政治団体の船の事故で亡くなった件。遺族のnoteを読んでいる。
Xでは「ジャーナリズムの敗北」っていう声もあった。積極的に取り上げているのは 産経新聞 くらいだとか。
情報がこんなにあふれている時代なのに、報道ってこんなに偏るのかと思う。でも、もしかすると逆なのかもしれない。
情報が多いからこそ、都合の悪いものは、最初から見えない場所に押し込まれてしまう。
そんな気もしている。

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