戯言。池田大作はえらい人、そんなのは常識。たったたらりら。

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ちびまる子ちゃんのエンディングであるおどるポンポコリンはさくらももこが作詞したそうですが、秀逸な作詞だと思います。

なんといっても、歌詞に中身がない!

エジソンはえらい人だと言っているが、その肝心の中身にはふれていないし、次にぼわっと何かが登場したとおもったら「いんちきおじさん」なんですよ。

マジで意味わからん、ってところが最高。

6:30から始まりだすサザエさん症候群に至る前に、無意味かつ陽気なおどるポンポコリンのダンシングにあてられて脳内カオスになる。

あれ今もやっているんですっけ?

少し前にも、おどるポンポコリンやっていたよな。

…で、とりあえずこの歌のエジソンは、いろんな人に置き換えてみればいいと思うんです。

キュリー夫人でも手塚治虫でもスティーブ・ジョブズでもジョージ・ルーカスでもマイケル・ジャクソンでもフレディ・マーキュリーでもエルビス・プレスリーでも…まあ、みんな何やったのかよくわかってないんですけど、近ごろの伝記には普通にスティーブ・ジョブズとかジョージ・ルーカスとかあるので、次に誰が偉人として伝記になっても驚かないと思います。

岸田文雄首相が哀悼の意を掲げていた池田大作とかの伝記も並ぶのか。

 

図書館で法華経の本を探しても日蓮宗系の色が濃い本ってないんですよね。

あればいいのにと思うけど、一応は宗教学者としての出版物は、客観的な読み物になっている本でないと本棚に並ばないようになっているんだと思います。

ただ、私が大好きな?相川圭子やバグワン・シュリ・ラジニーシはあります。考えようによってはヤバいと思うけど、何が基準で外されたり外されなかったりするんだろう。影響度の度合い?反社会性の度合い?よくわからない…そのうち、そのへんも怪しくなるんじゃないかな?なんで、図書館には大川隆法のコーナーがないんでしょうか。明らかに需要がないのに大きな書店には大川隆法コーナーがあるのに。上祐史浩の本もありません。

どんなえらい人でも、おどるポンポコリンのエジソンに当てはめれば、権威が無効化(キャンセレーション)されます。さくらももこは天才だ。

 

池田大作はえらい人、そんなのじょうしき、たったたらりら~

大川隆法はえらい人、そんなのじょうしき、たったたらりら~

聖徳太子はえらい人、そんなのじょうしき、たったたらりら~

 

楽勝ですね。

よく分からないけど、岸田総理が哀悼の意を敬拝する程度には偉いんだ。

「まちがいない!」

「まちがいない!」の長井秀和が、何もこの件にふれていないのがすごい残念。いつふれるんだろ。様子見かよ。

「歴史に学べ」っていうのは、身を修めるために厳粛な気持ちで挑むばかりではなく、現実的に何が起こっているのか?に対していい意味で水を差すために学ぶのだから、そんなノリで偉人が並んだ歴史資料に髭を描き足したら誰が偉そうに見えるのか?やりながらが一番です。

で、ここからが本題なのですが、かなり真面目に歴史を学んできたつもりの私でも、聖徳太子については最近よく分かっていないと思ってきました。というか、はじめこの記事は聖徳太子について書こうと思ったけど、次の機会にするために、首をトレンドにすげ替えました。

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