紀元前4世紀に稲作技術が伝わり集団生活を始めるようになった。紀元前1世紀頃には100ほどの小国があったが女王の卑弥呼でまとめた邪馬台国を作ったという(魏志「倭人伝」に邪馬台国の女王「卑弥呼」がいたと記されている)卑弥呼は魏に使いを送り「親魏倭王」の称号(金印)と百枚の銅鏡を与えられた。邪馬台国には法律や税金(租税)の仕組みがあった。邪馬台国が狗奴国(くなこく・くなのくに)「狗奴国 – Wikipedia」と戦争の最中に卑弥呼は死去。その後に争いが続き壱与(いよ)(台与)「台与 – Wikipedia」が女王になり争いは治まったが邪馬台国は歴史から消えた。その後、6世紀に大和政権が出来るまでの日本史は謎の空白地帯となっている。
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