唯物論者と自己肯定感

徒然草2.0

唯物論者という例えは不適切かもしれないが、私は自分がモノだと思っている。モノがなぜ意思を持つに至ったのか?はさておき、自分がモノ=コンピュータだったら自分を最適化して無駄なものは捨てていかなければならないということに帰結する。コンピュータの目的は?コンピュータ=人間の、人生の目的はさて知らんけど。とにかく人間というコンピュータは、まあまあご作動するけど、多くの人間は、大きな目的に沿って動いている気がする。

そんなコンピュータだからこそ、ガベージコレクト=ごみは捨てて最適効率で動くのが望ましいに決まっている。

そういえば、最近良く「自己肯定感が低い」という言葉を聞くが、私は心のどこかで「はぁ?なにそれ?」って感じで聞いていたりする。意味がわからないと言うより、似たような言葉は昔からあるわけで、今更な言葉って意味で「はぁ?」…なわけだけど、、自己肯定感が低いと思っている人間には非常に刺さる理論らしい。

中田敦彦=パーフェクトヒューマンも自己肯定感に波がある。

そういえば自分も自覚しているところがある。褒められると自分を低める時もあるし、何か行動する時に理由をつけて辞める時がある…そのまま突き進む時もあるが、色んな意味でアンバランス。もっと決断が速く行動ができればいいのに。

ただ別にアンバランスさが悪いのではなくて、その両面を認めた上で最適な状態にしないといけないということなら頷ける。

ちなみに、私は唯物論者であるという例えは、人間はコンピュータだと例えることとほぼ等しい…と思っている。記憶とは過去データである。そして5感を通して入力を受け取る装置である。人間は3%の有意識しか自覚的になれず、97%の活動はインサイドで行われ見えないものだ。最終的に客観的なその個人の価値を決めるのは…選択と行動を経た結果に過ぎないわけだ。別に魂の器としてreligion的でもspiritual的でもいいけど、自分は理系的に科学的に自己改善には意味があって、その本質は理数的なものだという確信があって、自己啓発はかなり意味のあるものだと最近思い始めてきた。10割が自己肯定感で決まる…この言い切りは流石だと思う。この本なかなか面白いかも。読んでみてもいいかも、と思った。

徒然草2.0
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