読書|『死を受け入れること』を読んだ感想。人の死亡率は100%

徒然草2.0

『死を受け入れること』3000体の死体を観察した解剖医の養老孟司と700人以上を看取ってきた訪問医の小堀歐一郎の対談。

なぜ日本人は必然的に生者に訪れる死を特別なものとして扱うのか?という問いに、死人と向き合ってきた老人たちが語り合う薄い対談本だ。

養老孟司の最新作でも読むかと思って手に入れたやつだ。

私も日常で薄らぼんやりと死について考えることがあるが、身近に高齢者がいるわけでもないし、仮にいたからといって死が常に身近にあるわけではない。自分の体の不調とか、ニュースで見聞きした有名人の死亡記事とかで、少し思うことがあるくらいでリアリティがないが、突き詰めればそんなものでしかない。

最近、遺書を作っている⋯というか銀行口座や証券口座など情報を集約しているだけだが死ぬ準備をはじめている。最近、背骨が痛い。たぶん筋肉が痛いだけで別にすぐ死ぬわけじゃないけど、世間の人よりも寿命が短い気がしている。ぜんぜん運動していないので、2kgのダンベルを振ってみるが身体が痛いだけだが。70の老人みたいなことを言っている(汗)

この本の中では、命を終わらせる医療というものは難しいという話が一番興味深かった。もう先がないと思っていたおばあさんが、医師に口の中に指を入れられて軟膏を塗られたら病院に行くようになり、長生きした話が印象的だった。それだけが理由ではないかもしれないが、医師にはそう見えた。人間の生きる希望っていうのは、常に人間と触れ合うことなのかもしれない。よくわからない。

逆に大晦日に病院で死んだ患者は医師からすると「裏切り者」で、運び出す際に病院の裏口を通れと冷たくあしらわれる話もリアル。自宅で過ごす105歳のおばあさんが、夫妻というか能面の70の嫁と息子の気持ちを悟って施設に入る話とか、医師からみたそういうリアルの話が興味深い。

なお寿命については運であるらしい。

寿命はよくわからない。僕の同級生もだいぶ死にましたけど、どういうやつが先に死んだかなと思うと、なかなか簡単には言えないですね。活動的なやつが先に死んじゃったり、健康にいいようなことを何もしていない人が残っていたり、一般論がないから、やっぱり運なんじゃないですか。(養老孟司)

とは言え、健康になるための方法と、逆にこれをしたら早く死ぬという統計があるわけで、なるべく健康でいようと努力をする。でも、運だと言われると、今やっていることの意味がなくなって、ふとなぜ無駄なことしているんだろうという気分になる。

ビジネスだと運をコントロールしろと言われるが、寿命でも運をコントロールしないといけないとは思うが、親が健康で高寿命だとか心が健康でストレス貯めない性格でないといけないとか衣食住以前の運要素ウェイトが大きいと何をやっても無駄な気がしてくる。

徒然草2.0
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