松蔭の最期は多く語られず高杉晋作偏に文庫本4巻のうち2巻の半ばで松蔭が処刑されて高杉晋作物語になっていくのだろうか。あまり高杉晋作や久坂玄瑞らがなにをしたのか知らないんだよね、ましてや伊藤博文とかもあまり吉田松陰や松下村塾に影響を受けていないばかりか、あまりよいものだと思っていなかったらしいし。伊藤博文らが後になって長州藩を持ち上げたために吉田松陰が後世に有名人になったと思っていたが、そうではないらしい。
吉田松陰と高杉晋作の比較が面白い。というより、現代人はよくて吉田松陰にはなれず高杉晋作止まりにしかなれないだろう。夢想家の吉田松陰と現実家の高杉晋作その間を取り持つ久坂玄瑞という男の対比が面白く自分はどの人間なのだろうと考えてみてもせいぜい高杉晋作止まりだ。晋作は、思想家ではない。以下、”思想”に関しての説明を引用する。
思想とは本来、人間が考えだした最大の虚構ーー大うそーーであろう。松蔭は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家論という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらとカンセさせ、かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによて自分自身の虚構を後世に向かって実在化させた。これほどの思想家は、日本歴史の中で二人といない。
晋作は現実家らしい。
思想というのは要するに論理化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである。それを信じ、それをかつぎ、そのまぼろしを実現しようという狂信狂態の徒(信徒もまた、思想的体質者であろう)が出てはじめて虹のようなあざやかさを示す。思想が思想になるにはそれを神体のようにかつぎあげてわめきまわる物狂いの徒が必要なのであり、松蔭の弟子では久坂玄瑞がそういう体質をもっていた。要は、体質なのである。松蔭が「久坂こそ自分の後継者」とおもっていたのはその体質を見抜いたからであろう。思想を受容する者は、狂信しなければ思想をうけとめることはできない。
村田清風の藩政大改革の後に西洋の技術を取り入れた軍艦教授所に晋作も船乗りになるために入った。艦長の松島剛三が率いる丙辰丸に乗り江戸に行ったこともあった。ところが自分には合わぬと悟って船乗りを辞めてしまう。
久坂玄瑞とか高杉晋作にあまり魅力を感じないというか、何かを成した人ではないという認識なのですが、司馬遼太郎の筆力により淡々と読めてしまうのでそれに沿ってつらつらと読んでいる。内容は理解はしているがすぐに記憶に消えていく。吉田松陰の生涯が、2巻半ばで終わると思っておらずこれから残りの2巻とどう向き合っていけばいいのか正直あまり読み切るモチベーションは高まらないでいる。

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