天才を凡人が殺す、なんて話もあるけれど、正直、凡人が誰かにおだてられて岡本太郎の“二番煎じ”を目指すのも、どこかみっともない気がする。
子ども部屋の落書きを褒められて、そこから恨み節を語り出す人を見たことがあるが、あれも似たようなものだ。
ピカソが本当に言ったかは定かではないが、「凡人は模倣し、天才は盗む」という言葉がある。商業的な成功が芸術の評価とイコールではないはずなのに、評価されていない人が何を言っても、どこか空虚に響いてしまうのはなぜだろう。
たしかにピカソの作品には「これはすごい」と思うものもあれば、「どうなんだこれ」と首をかしげたくなるものもある。では、その境目には本当に“正しい基準”があるのか? そう思って関連する本を読んでみても、結局よくわからないままだった。
ピカソについての客観的なデータを並べれば、こんな感じになる。
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遺産総額は約7,500億円。死後すぐ価値が数倍になり、今も上昇中。
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油絵1万3,000点、全作品13万点超という膨大な制作量で、ほぼすべてが高額取引。
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「青の時代」「バラ色の時代」「キュビスム」など、絵画の概念そのものを更新した。
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歴史上屈指の高額で取引される芸術家で、地位は今も揺るがない。
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20代のうちに成功し、以降は金銭面で困ることがない人生。
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恋愛も結婚も多く、情熱のままに生きた人物像。
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90代まで制作を続けた、生涯現役の怪物。
ここまでくると、作家としてのパフォーマティブな存在感や、オークション市場との相乗効果も含めて、“天才”という座を完全に確立した、と言わざるを得ない。誰もが真似してできるようなことではなく、やっぱり天才と呼ぶしかない。
ただ、細かく見ていけば、セザンヌの「下手」とも評される絵から着想を得てキュビスムを完成させるなど、出発点は意外と素朴なところにもある。それでも「それって本当に“新しい価値”と言えるの?」という疑問は消えないし、芸術論が永遠に揺れ続ける理由もそこにあるのだと思う。

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