19で日雇いに身をやつす非リア充の貫多(著者)とリア充の日下部(くさかべ)との友情らしき話であり、とてもリアリティのある話ではあったが、最後まで想像していた通りであった。
別に何かすごいことを話のなかで企図しているわけでもなく、つまりは最初からそういったものを書く気はなく、話自体は後日談であることを匂わせてはいたので、当然の流れだからそれはいいのだけど、際立って面白いかと言われると何も言及することが無い。至極当然のなりゆき話であった。
個人的にここがいいと思った点をクローズアップする↓
男の視点で、友達というか準友達と云うか知り合いだった間柄の彼女さんが、これまた想像しただけにいざ呼び出してみたら何も褒めるところがなく、別に褒めるところを探すこともないのだが欠点ばかりが目についてとても困ることは誰もが経験したことがあるだろう。
こいついい男なんだけど、本当に価値を見極める目を持っているんだろうか。いや、持っていないのだろう。聡明で気の合うやつなんだが、なぜこれを引き当てたのだろう。自分が望んでいたのに、いざ事実を突きつけられて、あ、うん。(そうだね)ってなるやつだ。
最初にそれ(好きな彼女がいること)を聞いた時、意外だーと思うが、よく考えてみればその程度のできる男だから当然だと思う一方、では自分は負けたとか羨ましいとか、ひいては嫉妬みたいなものがあるかというと無くはないけども一巡考えてみるとほぼ無くて大体そういう考えを持つ自分もおかしいし、じゃあ実際にモノを見せられてどうよ?と言われるとそうでもない(意見がない、意見をもつべきではない)。
隣の芝生は青く見えるって、事実なんだな…ってなる場面の描写がうまい。
準友達の日下部が野球観戦に連れてきた女さんの様子↓
その女はまるで化粧っ気もなく、髪も僅かに茶色に染めた一見清楚風な、肩までのストレートと云うのはよいとしても、毛質が細くて量も少ないので清楚と云うよりは凄愴な幽霊みたいな感じであった。一丁前に眉は形よく整え、ピアスなぞもしていたが、昔の肺病患者みたいなのを連想させる並外れた青白い顔色の悪さにそれは何ら映えるものではなく、着ている夏物のワンピースが無地の白と云うのも、いかにも初対面の相手の前と云うのを取りあえず計算したあざとさがあり、見た目の至極おとなしそうな風情の中に、何か学歴、教養至上主義の家庭に育った者特有の、我の強い腹黒さと云うのがアリアリと透けてみえる、つまりはあらゆる意味での魅力に乏しい、いかにも頭でっかちなタイプの女であった。
『苦役列車』(西村賢太)
そらまあ初対面の異性相手と3人で行く野球観戦にアクセントあるおしゃれしてきたら空気読めって感じだが、ここまでバカにしちゃう性格の悪さは流石である。過去に縁があったヒトもソープのBBAとも比較してはいけないが比較以前に友人の女に対して「あらゆる意味での魅力に乏しい」というこの評価はもう流石としか言いようがない。これが西村賢太の価値観であり美学なんだな。知らんけど。ある種のインテリに興味はあれど(自分自身はインテリ気取りたいが)インテリ嫌いだしプライドは高いのでこういう物の言い方になっちゃう気持ちというか視点は大好き。
小難しい漢字が多くて意味が分からず調べるのが億劫だったが、文章自体は全体的に読みやすく小説を読み慣れない私でも意味を取り違えることもよく分からなくなることも一切なかった。その点はさすが物書きだなという感じはする。Wikipediaによれば村上龍が人生は不条理だというテーマは陳腐だと言ったそうだが私もそう思った。
話はふつう中のふつうなんだよな。悪くははなかったが、特に期待していた何かはなかった。
まあ、著者の別の作品や登場した小説家の名前を拾って調べてみようと思ったが。
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