現代の核家族した家族環境で生きてきた多くの人にとって、”自分”(あなた自身のこと)というのは、とてもわかりにくい存在だと思う。それは私もけして例外ではない。
親族に自分の性格と似ている人を見つける
私も自分で言ってて、なんかすごい意味わからない言い方になったが…何が言いたいのかと言うと…私達は家族の中に自分に似ている人を見つけて、それを1つロールモデルもしくは反面教師とすべきではないか、と思うのだということを言いたい。
というとなんか教条主義的臭いが、だいたい似ている人が一人や二人いるものではないだろうか。
自分の性格は遺伝的にも両親や祖父祖母から受け継がれたものだ。
それに加えて、血がつながった叔母/伯母や叔父/伯父などが意外にも面白いと思う。可能であれば曽祖父や曾祖母とその親戚の姿を追ってみるといい。
そうやって親族の周囲をよく見ると、自分というものが見えてくることがある。ちなみに従兄弟などもその一部だが血の傾向は若干薄い気がしている。別に私は先祖が大切だとかいう文化を持ち合わせていないが、遺伝的に無視ができない要因が科学的に因果関係としてありえる。
だから、家系図というか自分に似た性質を持った親族の情報を役立てない手はないと言いたい。逆に、そういったものを一茶無視して生きているのは、単純に賢くないと思う。
調べられない以上はしかたがないが、自分は自分で親族と関係がないと割り切れるものではないと、認めたほうがよいということだ。別に親族にこういうひとがいるから、自分は○○だと決めつけたり知った上で安心したいのではない(別にそうすることを否定はしない)、ただ知り得た上で物事を判断したほうがよいといいたい。
しかし悲しいかな。我々は遠いところにいる親族を、まるで赤の他人だと思っている。特に、親族との交流は親の交流がなければ、関わる機会は法事ぐらいだが、今となっては我が家に法事の付き合いすらない。両親に聞ける範囲で聞いたが逆に親父にはそんなものは気にするな!と逆に怒られる始末。進歩的な人間というものは、伝統に縛られるべきではないという、風潮が過去にあったせいもあるのあるのかもしれない。
そのくせ、日本国民は総理大臣を血筋で選ぶ。自民党の総裁は自民の議員が選ぶとしても、その国会議員を選んでいるのは国民だし、別に殆どの国民はそこに異論を差し挟む人は少ない。
そんなわけで何がいいたいのか、よく分からなくなったが、血筋っていうのは大事だぞ、ということで後の世代のためにも、情報化して整理しておくべきだと言いたい。我が家の家系図をブロックチェーンにできないか?などと考えてみると面白いかもしれない。
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