無名人が何か言っても無駄であるということに対する反論

一個人の政治運動は無駄だと思うことがある。ただ、あれは「言いたいだけ」なのだ。

言いたいから言う。法的に言えば言論の自由というやつだ。結構ではないか。憲法で保証されていることだ。

私が無駄だなんだと言う権利はないが言うのは自由だ。

相手も言う。私も言う。そういうものでしかないってだけ。

それとは別に…なんの実績もない無名人が何を言っても説得力が無いというやつがいる。

まあ、それは、言わせておけばいいと思う。

黙って取り組むのが男の甲斐性だなんて言う人もいる。

何でもかんでも保険をかけるために言うのは男じゃあないという。

昭和の男は黙って突き進み黙って結果を残すが美徳…なのかもしれない。

ある人にその話をしたら、それも間違いだと言われた。

本当にかっこいいいのは、「自分で宣言して、それをやってのけること」なのだそうだ。

たしかにそうかも知れない。それと比べれば、言っても変わらぬことを言い続けるのは愚かではないか。

まあしかし、自分で自分をその気にさせる。自分で自分に言い切る。そんなアファメーションみたいなものだとしたらどうだろう。傍から見てみっともないところもあるが、叶えば官軍。成らねば張子の虎。負ければ賊軍。そういうものだとしても、言っておきたい。堪え性がないだろうか?

まあ、でも言うのは勝手だということに帰結する。

相手に対しても言うのは勝手。私が言われるのも言う相手の勝手。

みんな自分勝手に発言をすればよい。言って変わらないなら言わせておけばいい。

ブログの場合はチリも積もれば山となる。共感した人とつながれば人と人とのつながりができるかもしれない。

やらない無駄よりやる無駄のほうが、ずっとマシであると思います。

やっていくうちに、気づきを得る機会があることも少なからずあるものです。

徒然草2.0
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