中学生の時にガンで死にたいと言ったら先生に「私の弟は○✕△!」「とても見ていられなかった!」みたいなことを言われてとても怒られた。血反吐はいて、痛い痛いと言いながら死ぬのもその姿を見る遺族も苦痛だろうけど、死ぬという自覚を持って死ぬほうが生きるということを最後に自覚できる分ましだと思うのは、生者として普通のことではないだろうか、ということを考えている。
ピンピンコロリがいいと言う人は多い(私の母)が、それだって、もうすぐ死ぬかもしれないという自覚を持って「死にたい」ということの現れでもあるんではないだろうか。したがって瞬間的に呆気なくジョジョのアブドゥルのように死ぬことを、人は嫌うことが普遍的な生の欲求ではないだろうかと思ったりする。
出展:https://www.pinterest.fr/pin/683210205943690748/?lp=true
どんなに死にそうな人でも、明日死ぬかもしれないと思わないものだ。(さっき、うちのひとは、明日死ぬかもしれないと言って床に入ったが…)
疲労感がMAXに近づくと死が頭を過る…このまま死んだら嫌だなと言う想いが変な夢を見させる。これは誰でもあることだと思う。暇さえあれば死ぬことを考えるくせがあるが、それは消えない。たぶん、そういうことを考えない人にはわからない。自殺をする気はまったくないが、ただぼんやりと死ぬということを考える。芥川龍之介の遺書は、非常にそんな人の気分を明晰に書きつづいっている、だからといって死ぬことはないのであるが。
人間よくよく考えてみるとやることがない、ただやらないといけないことがある、それは死ぬことである。
遺書 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/16034_33783.html
医者が選ぶ死ぬならこのがん 名医25人に聞いた”理想の最期”
http://mainichbooks.com/sundaymainichi/life-and-health/2016/07/03/post-957.htmli
がんで死ぬなら膵臓ガンか肝臓ガンがいいらしい。
ガンの9割は正しい知識があれば予防できる 遺伝、食事、運動、検診にまつわる誤解の数々
https://toyokeizai.net/articles/-/94389?page=4
「最期はガンで死にたいね」と医者仲間で話したことがある。ガンでいいことは、死ぬまで意識がハッキリしていて、自分を失うことがないことだ。
がんで死ぬということは確率論的に高いのだから、前々からよく考えておくべきことだろう。死にたいのではない。ガンにもなりたくない。ただ死ぬならガンがいいのかもしれない。心臓が止まって頭の血管が詰まって刃物で指されて車に潰されて死ぬのはいくらなんでもあんまりでしょう。
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