子どもに色んな体験をさせてあげたい!と親なら思うのだろう…が、世の中ではどういう親の理想や子どもの願望があるのだろう?とかそもそも子どもにとっていい体験ってなに?と疑問はいっぱい出てくる。自分の視野を広げるため『体験格差』(著:今井悠介)という本を読んでみた。
お金がない世帯ほど子どもの体験格差は大きいという当たり前の話から具体的な話まで色々と書いてあってためになる。個人的に気になった点とか感想とか書いてみる。
体験と言ってもその幅は色々ある
体験と言っても色々ある。
例えば、ファーストフードでハンバーガーを食べるとか、ディズニーランドに行ったことがあるとか、ステーキハウスでお肉を食べるとか、ゲームをやるとか、漫画を読むとか、同年代の子や年齢が少し離れた子と遊ぶとか、そういうのも体験の一種だと思う。
一応、この本でも触れられているが、個人的には、ビデオが家にない、スーファミが家にない、少年ジャンプを買ってもらえない、とかのほうが辛かった気がする。ビデオがないのはとても驚かれた。。進研ゼミの体験ビデオすら見れない(汗)
そういう辛さは解消しないといけないのでは?と思っている。大人からしたらどれも少額ですし。子どもは特別に欲しがったわけではないがNintendo Switchを買った。
…あとは、犬や猫を飼う体験とか。畑で野菜や庭で果物を育てるとかは都会だと難しい。…できることならもっと大型の動物や小型の動物でもいいが、私は好きにそのへんができたのがすごい良いことだと思っている(が、子どもの自由な考えで何もさせてあげられていない)。ただこれによるメリットがどこにあるか?と言われるといまいちよく分からない。生物学者とかになる気はあまりなかった。そういう仕事のイメージがわかなかったからだが高校で生物に対する興味を失ったというか他に興味があることが多くなった。熱帯魚好きな人と話が合わせられるとかぐらいのメリットはある(苦笑)
日帰り旅行に行く体験はわりと不要
大人になってからでもできる体験というものもある。子どもと1年に1度は旅行を楽しませたいと考えている親はいるが、子どもは付き添わされているだけという側面が結構ある気がする。子どものときの旅行が楽しすぎたとかは、あまり聞かない。
アクティビティの観点から言えば、個人的にはキャンプ体験や登山は楽しかったから、その手の趣味が無意識レベルでいい思い出として残っている気がするが…まあ別に本当に好きならば、おとなになってからもできる趣味かなと思ったりすることも多いが。子どもの体験あってこその趣味なのかもしれない。
お稽古は必要か?
逆にスポーツとか習い事は積み重ねるものは2,3やっておかないと…将来に話の輪やマウントとるやつとかに直面した時や、面接などの趣味欄に書くことがある時とか、色々な場面で困るかもしれない。自尊心が傷つけられたりするかも?
所得が多いご家庭のお子さんは(なぜか敬語)音楽とスポーツを1つずつセレクトしているのが当たり前になっており、ということはそういうグループに将来属したいのならば、同じようにしているのが無難だと思う。
子どもが何に興味があるのかわからないので何でもさせてみる
自分にとって楽しいことしか基本的に役立たない体験になる気がする。ただ、楽しくなかった経験もあるが、それはそれで重要だと個人的には思う。
日本全国や世界のいたるところに親に連れて行ってもらった人に会ったことがあるが、彼自身は「あまり旅行は楽しいと思っていない」と言っていた。旅行による体験から得られるものがなかったのだろうか?と思ったが、逆に言えば、旅行に羨ましさを感じない余裕みたいなものが彼にはあるので、本人が楽しんでないアクティビティでも無意識レベルで良い作用があるのではないだろうか?
だから「興味があることをやらせる」という人がいるけど、私はそれだけがすべてだとは思っていない。興味ないことでも親が一緒に取り組んでいるうちに、親の人間関係の輪や知識が広がったりもするのでどんなアクティビティにも副次的な効果があるがそれが結構ばかにできないのではないだろうか。(と思っているからこそ、この本を読んで視野を広げようと思った)
サッカーはボール1つでできないの?って言ったらダメ?
シングルマザーの子どもがサッカーしたい!と苦しんでいる話があった。サッカーチームにはいらずともサッカー好きの子といっしょに学校でサッカーを結構やっていた記憶がある私は、恵まれていた環境にあったのかもしれない。サッカーなんて習うものじゃなくて、サッカー好きな子で集まってやるものだろ?と思ったが、それって昭和の考えなのだろうか(汗)。
当時はその地域ではサッカーを習っていた子はマイノリティだった。バスケの方が流行っていた。野球をやっている子もいた。私は球技への興味は特になかった(苦笑)サッカーチームに入らずともスパイクぐらいならみんな持っていた。私も中古のスパイクシューズを友人からもらった。小学校には球技大会もあって、自然に集まってサッカーを行う空気があった。怖い先輩にがなり立てられたりして、いまいちサッカーの本質も楽しさもよくわからなかったが…。そこで球技への苦手意識ができてしまったけどいい経験だった。今は少年チームに入ってやる時代なのだろう。そういったことが知れて勉強になった。
親が必要と感じていない体験はさせてあげられない問題
英語を使う仕事をしていて海外移住を視野にいれているご家庭だと、日本にいる間はご各教室に言ったり海外の学校へ編入するための学習をするのがふつうになるのだろう。そういう人生を歩んでいない私には「日本ダメかも?」と思いつつも脱出するだけの気力がない。私はそれでもいいけど、子どもにとっては将来にそれで明暗を分けるのかもしれないとなると、ちょっと怖い。
私は車を運転しないので、パパが運転する車でドライブとかを体験させてあげられない。他にも親にはわからないけど体験させてあげるべきアクティビティがあるはずだが、それが自覚できないのが怖いと思った次第。
子どもは親に遠慮する
私も遠慮する子だったと思うが…根っからの面倒くさがり屋の側面もあるので、子どもの顔色を見て決めるよりも少しでも興味があればコストをかけるべきでは。とはいえ体は1つ人生も1回だから取捨選択はせざるを得ないし、いっぱいやればいいというものでもないのかもしれない。
たまに子どもの頃に何でもかんでもやってみた!という人がいるが、バイタリティあふれる人もいてその多様な経験が活きていると思える人もいれば、逆にいろいろやってきたわりに控えめな人もいるので、経験は多ければ多いほどいいとも言い切れないのではないかという疑問が残る。
まとめ
世間には色んな体験格差があり、それがどう子どもの人生に影響を与えるのか、視野が広がる考察に使える本だった。そこからさらに、日本の子どもたちの体験格差がどのように、日本の将来に悪影響を与えるのか?なんかも考えてみると面白いかも。
例えば、子供時代に手に入れられなかったものをおとなになって無性に求めることで依存症になったり…逆に、無欲になったり達観したり、その人の能力や人格に影響を与える効用を多角的に分析したらもっと面白いんじゃないだろうか?
コメント