・『ブルーロック』を読んでる。てっきり青春高校サッカーの話かと思っていたら違うようで、エゴイストFWの英雄を作り上げる監獄がブルーロックであり、狂ったデスゲームが繰り広げられる話だった。ありそうでなかった新しいジャンルのスポ根。サッカーでカイジをやる発想がすごいね。
・『食えなんだら食うな』(関大徹)曹洞宗の偉いらしい坊主の本だがタイトルからして面白い。政治家にしろ坊さんにしろ権力や権威をまとうものは敬う気持ちがゼロではないものの遠ざかりたくなる二重性というか二面性を勝手に見てしまって、千日回峰行の大阿闍梨を有難がるのがはなんか違うんじゃないかな。ということで、話半分で読みがちでこの本に関しても例外ではないが、タイトルからして衝撃的でおもしろい。娑婆では「食うために働け」だが、食えないなら食うな(それで、死ね)ってことなのだ。生産性のない托鉢僧が飯を貰う行為のあれこれは分からぬが、私たちは食えなくなる恐怖から取り憑かれたように生産して生きている。それをふとした瞬間にふっとばしたくなる。江頭2:50が「俺の夢は、野垂れ死にだ!」と言っていたが同義だろう。「死ぬこと以外はかすり傷」(箕輪厚介)ではなく「病なんて死ねば治る」(関大徹)ほうがひらけている感じしません?比較して悪いけども⋯ある種の開き直りは私たちを一つ悟りに近づけてくれる気がする。娑婆にいる私たち人間はバカで食えなくなったら食えぬだけなのに収入の半分ぐらいを国に差し出して⋯言い換えれば人生の半分を何かあった時のために蓄積しているが、ほとんどの人がその恩恵にあやかれずに死ぬ。まあ、社会保険料のみならず社会インフラを維持する費用もあるから雑な勘定だけど、ようは私たちはくだらぬ執着に縛られて生きている。いつしかもっと自分に恩恵があるはずだとあさましく僭上しだす。偉い坊主はそれにふと気づかせてくれるために在るんだと思えばいいのかもしれない(すごい上から目線)。
・『年収90万円でハッピーライフ』(大原扁理)途中で著者からゲイとカミングアウトされて、語り口調の声色がお姉系になってしまったが、文章編集スキルや英語スキルが優れており介護という主業があり、料理と掃除が好きな節制家って感じであり、この人だからできる生き方だと思ってしまった。図書館でやたら本を積んで読んでる女の人がいて、勉強熱心だな⋯何を読んでいるのかな?と思ったら「年収200万生活」の本だった。最近、そんな本ばっかりだな。
・『頭がよくなる箇条書きの習慣』(マスカワシゲル)コンサルテーションを仕事にしているならば、当たり前の経験談と思考方法しか書いてなくて、個人的にはとくに得るものがなかった。箇条書きは地味であるが道具としていかにうまく使うか?が非常に重要なスキルだと私も思うが、これといっていろいろな箇条書き本を読んでも得るものがない。新しい箇条書きの技術を体系づくろうなどとおおげさなことを画策しようとしているが、そのお手本になるようなものは箇条書きの本にはないようだ。もしあるとしたら、マインドマップの本とか別のフレームワークから使えるエッセンスをひっぱってきたほうがいいのかもしれない。箇条書きは抽象度の構造にせよMECEの度合いも元ネタによって変わってくる。相手に伝える場合は、情報量が多すぎても少なすぎてもダメだし、このへんのセンスって箇条書き以前の問題で⋯情報収集と分析に問題になるのかも⋯。というわけで箇条書きじゃないところに個人的な課題を見つけることができた。
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