日記|新選組を浪人集団とバカにする徳川慶喜の子孫

徒然草2.0

新選組を「浪人風情のごろつき」と見る向きがあるのは、当時の社会背景を考えれば理解できる。もともと浪人の寄せ集めなのだから、そうした評価自体は不思議ではない。

しかし、彼らは曲がりなりにも幕府のために命をかけて戦った存在でもある。にもかかわらず、徳川家一族がその功績に対して礼を欠くような態度をとるのは、どうにも粋ではない。

徳川慶喜の子孫である人もう少し発言を気にして欲しい↓

https://x.com/szyi_zero/status/1995723273196208250

…とりわけ徳川慶喜の姿勢には、その「礼を欠いた」印象が色濃く残る。

むしろ、西郷隆盛ら薩長側から切腹を命じられ、武士として最後の花を持たせるような結末のほうが、彼の生き様にふさわしかったのではないか──そんなことさえ考えてしまうわ。

(後日談として──名家の人からすれば、「新選組なんて所詮は浪人風情」という感覚はごく当たり前で、そこに怒る人がいること自体が理解できない、という声もあった。
たしかに、江戸期の社会では「町民風情が~」「百姓風情が~」といった物言いが常に存在した。身分の低い者を下に見る感覚は自然と身に染みついていて、「お前らと私たちはそもそも違う」という意識は、武家とそれ以上に準じる階層の人たちが持ちうる選民意識だったのだろう。そして逆に、その立場にない庶民──いわば“下賤の民”であるマジョリティだからこそ、そうした言い方に反発心を抱く。上の者にも下の者にも、階層意識がいまなお根強く残っている。日本には現在でも、形を変えながら身分階級の名残が息づいているのかもしれない。)

さて、話は変わるが、今年の流行語大賞には高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれた。正直、すでに流行語というほどの鮮度はない気もするが、メディアが勝手に権力者に擦り寄り盛り上がるのはいつものことで、どうでもいい。

高市首相が『進撃の巨人』に登場する「車力の巨人」に似ている、というネット上の言説も見かける。個人的にはそこまで似ているとは思わないが…並べてみれば「似てなくもない」が…その流れで話題になったのが、サウジアラビアの投資ファンドのイベントで「いいから黙って全部オレに投資しろ!!」と言ったという。

どこまで本気で受け取られたのかは分からない。

一方、最近は一部の金融関係者が「長期金利の上昇で、日本の財政が本格的に危ない」と警鐘を鳴らしており、投資を呼び込む前に財政の立て直しを求める声もある。

あと1度利上げすると日本の財政は赤字になるらしい。

高市ついでに言えば、高市首相の「存立危機事態」に関する発言についてあれこれ批判する人たちもいるが、私から見ると、その議論には重要な前提が2つ欠けている。

  1. 日米同盟において、米国が攻撃を受ければ日本の集団的自衛権が発動するのは自民党歴代の首相の共通認識であること。

  2. 中国国民党系ではない独立志向の台湾人たちの思いをどこまで尊重するのか、という視点。

リベラル寄りの人々の議論は、この2点を無視している。(気にしているのを見かけたことがない)そもそも、台湾人が日本人より危機だと感じていないという側面もある。なるようにしかならないと思っているらしい。それはともかくリベラルな人は「日本は日中間で国境線を引き直した時の約束を守って関わらないべきだ」という“ルールベース”の主張ばかりで、台湾人自身の民族的な団結や、平和裡に問題を決着させたいという切実な願いへの視点が欠落しているように思えるのだ。どこか、自分本位に見えてしまう。

私はリベラルを自認していたが、もうリベラルじゃあないのかもしれない。

…とはいえ、みんなが好き勝手言っている状況そのものは、言いたくても言えない社会よりは健全なのかもしれない。

そう考えれば、世の中は以前より少しは良くなっていると言えるのかも。

(中国政府やロシア政府が「日本は軍国主義化している!」と言うのを聞くと、日本人としては「こんな衰退しつつある小国が、今さら軍国主義?笑わせるな」という気分になる。
ところが、ある人が「日本人から日本国憲法を取り上げれば、大日本帝国憲法が自動的に適用されて戦前に戻るだろう」と言っていて、なるほどと思わされる部分もある。戦前と戦後で決定的に違う“ソフトウェア”は、たしかに憲法そのものだからだ。そして台湾有事にやきもきしているのは、当事者に近い台湾人ではなく、むしろ少し離れた位置から眺めている日本人のほうだったりする。世界から見れば、「東の小国がひとりで過剰反応している」ように映っているのかもしれない。)

徒然草2.0
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