・魏の正史ではなく三国志演義からや、パーリ仏典ではなく仏陀の漢語の伝記から学ぶと、そっから離れられなくなってしまうのではないかという懸念があったが…そこにこだわる意味がなくなってしまい、受容しやすければそれでいいじゃないか、と思うようになった。
2500年前のことを、なるべく当時そのままの状態で受け取ろうなんて魂胆を執着と言わずしてなんと言おう?現代人がもっとも受け取りやすい形で受容すればいいだけ。
釈迦の伝記を特に創作性が強いものを読んでみようと思って探してみるといくつもある。
- 仏所行讃(ぶっしょうぎょうさん)=ブッダチャリタ
- 本生譚(ほんしょうたん)・菩薩本生譚=ジャータカ
などが代表的なもので、他にも以下の通りある。
- 仏本行集経(ぶつほんぎょうしゅうきょう)
- 大唐西域記(だいとうせいいきき)…(玄奘三蔵の他、釈迦の生涯の記述がある)
- 釈迦如来応化事迹(しゃかにょらいおうかじせき)
- 聖ヨサファット伝
- 『シッダールタ』(ヘッセ)
- 『ブッダ』(手塚治虫)
というわけで他にも創作や新興宗教始祖の解釈なども許せば、いくらでもある。
ジャータカは釈尊の前世、現世、後世の話でありなかなかぶっ飛んでいるそうだ。
コメント