マインドフルネス嫌い…。
いや、釈迦や仏陀は好きだし、禅宗も鎌倉仏教も、仏教系新興宗教も嫌いじゃない。
原始仏教を読んでいる人にも好感を持てるし、スティーブ・ジョブズみたいに愛読書が『あるヨギの自叙伝』なのもいい。
スピ系が好きでも、ヨガしてても全然いい。
玉石混交というか、悟りへの道筋に多様性があるのはわかってるし、認めてます。
般若心経を写経したり、法華経を読んだり、聖教新聞を2部買って友達に配ったり、森林浴して瞑想したり──そういうのは全部いいことだと思う。勝手にやればいいと思う。
でも、ひとつだけ許せないのがある。
それが「ビジネスのパフォーマンスを上げるためだけにマインドフルネスしてます勢」
この人たち、「瞑想の宗教性を排除していること」に自分で意識高いって思ってるのかな?と思うと、なんか許せない。
「マインドフルネスと慈悲の瞑想やってます」ならまだわかる。
でも「マインドフルネスだけやってます」って、逆によくわからない。
なんでそれだけなの?あれ何なの?面白いの?
もしかして、こう思ってるのって私だけ?
(昔の自分をなんとなく振り返っているだけで、特定の誰かを攻めているわけではありません)ふとあれってもしかして他人から見て”気持ち悪いのかな?”と思っただけ。
ちなみに、「マインドフルネス嫌い」もいれば、「仏教嫌い」や「仏陀嫌い」もいますし、知性派には「仏陀のことなんかわからないのに仏陀好き」とか言っているやつが嫌い勢もいます。
世の中は、平和になりません(涙)世界人類が平和になれますように!
コメント