『多様性バカ』(池田清彦)を読んだがおもしろい。
この人の数ある本の中で個人的に一番良かったかもしれない⋯というのは、これって当然だよねと思っていたことがそうでもないことや、多様性の議論の裏にあるさまざまな事情があることが正確に把握できたためだ。
例えば昨今では、生物学的男性が重量挙げやボクシングの女性種目で圧倒的な勝利する姿を見て、もともと生物学的に女性でなければ女性種目への出場を認めてはいけないのではないか?ということで、多様性の拡大には一定の基準が設けられてはいるが、東京オリンピックで生物学的に女性であるにも関わらずもともとテストテロン値が高いせいで競技にでられなかったナミビアの選手がいたようだ。ルールをつくれば上手くいくわけでもないのが多様性問題の難しいところだ。『多様性バカ』には、そんな話がいっぱいつまっている。
そもそも多様性という言葉はカテゴライズを政治的な理由で増やしたもの=人間の認識できるものを増やした結果に過ぎない側面がある、すなわち政治的な理由により作り出されたものであって、それらが守られないと社会が硬直化するが、かといって権利を認めすぎるとなんでも在りになって社会は混乱する。多様性を一切認めないのもよくないし認めすぎるのもよくないので、ちょうどいい塩梅を目指さないとならないものということになり、そのヒントが色々と書かれている。
結論から言えば、「多様性の尊重」とは「人間に存在するさまざまな属性には基本的に優劣はなく、その存在は原理的に等価である」という思想である。
そして、この基底をなす考えは、
1.すべての個人は自由で平等である
2.人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、何をするのも自由である。ただし、恣意性の権利は能動的なものに限られる」
という2点である。
(例)人を愛する権利は認められるが、人(自分)を愛させる権利はない。
⋯これだけ守られていれば大きな問題はそうそうおきないし、それ以外は時代と場所に合わせて適宜定めていくしかないのではないか。
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