前々から思っていることだが、他人が言うことの9割は役に立たない。
…そんなことを言おうものなら「誰も相手にされなくなるぞ!」と、年上なる役割をしてくれる他人から諌められるかもしれない「君に誰も教えたがらないぞ!」ってね。
…まあ、確かにそうだ。
誰かが言う誠(まこと)らしい言葉を「嘘だ!」と思っても、若い人たちは自分で情報の取捨選択をして最善の道に進めるという確信を得るまでは、お金と経験が豊富な年上なる役割をしてくれる人のいい大人たちに従っておくのがが無難に違いない。ただ、従順に従ったところで対して利益がないことは、賢い若い人たちはよく知っているものだが。一部の人だけはそうやってうまく生きていける。
相手の言うことが嘘だということに気づいても、おくびにも出さないでやり過ごすほうがいい時もある。ただ、それを続けていると、特に人に左右されやすい人は、あらぬ方向へ行きがちだと思うので、それを自戒を込めて危惧している。うまく生きていけない人であるひとが9割。
…だけど、別に私はなにも他人から嫌われたくてこのようなことを述べているのではないし、なにか裏街道みたいなものを示唆したいがために常識を疑え!みたいなマーケティング的な作用を誰かに施したいわけでもない。別に捻くれたことを構ってほしくて言っているわけではない。
ようは、おおよそこの世の情報は過多なのである。
ソースは面倒なので調べていないけど、一説によれば平安時代の一生分の情報、江戸時代の一日分の情報、これを現代人は1日で受容しているという話があるそうだ。
私達は自分が情報を取捨選択してそれを自分に取り込んでいくわけだが、自分が選びたい情報がないというよりかは、情報がありすぎてどれを選んだらいいかわからない状態の中にいると言ったほうが近いのではないか?ということを踏まえると、自分に役立たたない情報も圧倒的に多い。
そんな中で人が貴重だと思う言葉とは、往々にして自分にとって好ましい人から影響を受ける。子供のうちは、親兄弟、地域の大人、先生。次に芸能人、スポーツ選手、今で言うところのインフルエンサ・ユーチューバの方々。
別にそれはそれでいいのだが、それを鵜呑みにして成果が出せるのは1割に満たない。成功を実感する成果が出せるのは1割。そういう話がある。
まっとうな努力を実践しろという言葉を真に受けて努力する人が全体の1割だとすると。9割の話は役に立っていないことになる。9割の努力をしない人の数を、自分の立場に置き換えれば、9割の話が役立たたないという事ができる。どんなにありがたい話でも9割の人にとっては無駄っつこーと。
全然推敲していないので変な文になったからちゃんと読ませたいなら構成を考えないといけないけれど、この事実を踏まえれば自分の影響力なんてまるでない!って思って確信していればどんなに他人に馬鹿にされても平気になるよ…ってことをイイたい。あと人の話は9割やくだたないものだから話半分で聞いておけばいいよという疲れない処世術として使うといい。
よくセミナーなんか行くとセミナー講師が持ち帰るためにノートをしっかりとってね!って言ったりする。あれは半分意味があって半分無意味。
そんなことやっても見返して役立てるのは1割にも満たない(個人的な感覚の数値-苦笑)その時に感覚的に残ったものが使える…ってことでしかない。そして、それを養成していけば「役立っている」という確信に変わるセミナーっていうのは、そういうものだと思う。無理してメモしてもその人が役に立たないものだと思えば約立たない情報-知識-知恵とは元来、そういう性質のもの。
人の話は9割ぐらい無駄。
逆に言えば、1割ぐらいは自分のためになる情報がどんな媒体(コンテンツ)にもあるから、その1割だけ受容できていればOKだと思っていたほうがいい。
コメント