「東京五輪金メダル候補を自殺に追い込んだもの | 彼女はなぜ23歳の若さで自ら死を選んだのか | クーリエ・ジャポン」リオの自転車競技の銀メダリストであるケリー・カトリンが望んだもの、それは「愛と絆」とか「愛と温もり」…と日本の記事に書いてあって…
温もりと絆ってだいぶちがくね?と思い気になって調べてみた。クーリエ・ジャポンは有料なので別記事を見ている。このサイボーグな感じの人はすごい興味深い「Olympic cyclist Kelly Catlin could do it all. Until it all became too much. – The Washington Post」に書いてあった。
“I do desire to be valued, to be special, to have great power and responsibility. But, beyond all else, I desire ‘love and connection.’ ”
※ゲスですが…love and connectionは「愛と結合」を欲すると…訳せないですね。はい、すみません。「私は価値があり特別で優れた力と責任を持つことを望むが、んなことより愛とつながりを望む」(意訳)。て感じでしょうか。
自転車だけではなく数学や音楽の才能も優れていたが…自分には自転車しかないと思いこんでおり、怪我などを発端にして燃え尽きて壊れてしまった…って感じだと思う。
ストイックさそのもの異常性を殊更強調し、彼女が欲しかったものは「love and connection」でしたって結論づけるのは、いささか遺書からストーリーを作りすぎている気がするんですが…才能ってそうやって作り出されるものなんですかねぇ…。
程々にしましょうよ…って思ってしまいましたね。13の約束を守るために青春捨ててきたかもしれないけど、23歳ってこれからじゃないですか…
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