「今まで何してたの?ウォール街の靴磨き少年の話、知ってる?」
そう言ったほうがいいのだろうか。いや、そんなことを言ったら嫌な大人だ。
「毎月オルカン積立1万円くらいから始めてみたら?」
このくらいが無難だろう。
私の資産は9割が株式だ(最近は少しキャッシュを増やしているけど)。そうサラッと言っているが、実際には額を思うと冷や汗がにじむ。株クラ界隈なら「私も」「俺も」と返ってくるが、世間ではそういう人はあまり多くない。それが幸か不幸かはわからない。ただ、多くの人は「NISAはじめようかな?」という温度感らしい。もちろんそれは正しい。けれど、相手が知識のないふりをして私を試しているのでは、とつい勘ぐってしまう。警戒しすぎ…。
自分の資産の行方すら読みきれないのに、人の資産形成に口を出すのは、冷静に考えるとけっこう怖い。これまでFPになろうと思ったことも何度かあったが、真面目にやればやるほど「荻原博子」的になる気がして踏み出せなかった。明日のご飯に困らず、最低限の衣食住があればそれで十分じゃないか。ダメなの?そうか、ダメなのか。そうよね。自分の考えを押し付けるのはライフプランナーではない。
「資産を減らしたくない」と言う人がいた。そういう人には為替リスクなんてもってのほか、日本国債をすすめるしかない。定期預金でもいいのだが、なにか“金融資産”を持ちたいらしい。こういう人に限って、準公務員のような安定職に就きながら、英語が堪能だったりする。英語ができるのに経済リテラシーが皆無――もったいない。英語ができれば日本人が触れられない情報にアクセスでき、もっと多くの選択肢を持てるのに。…とはいえ、外国語で働けるという時点で、金融資産を持つ以上のアドバンテージをすでに持っているのかもしれない。
結局、人は「自分が得ようとした情報」しか得ない。逆に、得る気があれば人生は変わる。…まあ、結果論だ。「人生の答え合わせ」という言葉はあまり好きではない。過去に情報を取りこぼしたのはキャパシティの問題でもあり、後悔しても仕方がないと思っている。なので後悔は、未来に役立つならやればいいし、思い出に浸るのが楽しいなら構わないが、だいたい捨ててその時間を放棄したほうが生産性が高いというかQOLが高められるならそのほうがいい。
この前、子どもの授業参観に行ったら大人も参加する形式の授業で「大人の自分が、子どもの自分に言いたいことは?」というインタビューをされた。大人の子どもたちへ答えはだいたい2つで「好きなことをする!」と「もっと勉強しとけ!」だった。私は前者の意見を述べたが「もっと勉強しとけ」ってよく考えるとおかしい。学校の勉強をしないと決めたのは自分自身じゃないか。
同じように、「好きなことをする!」というのも、結局は“まだできていない”という後悔の裏返しだ。本当は、好きなことをする機会なんていくらでもあったのに、理由をつけて優先順位を下げてきただけ。お前が好きなあの子に告白しなかったのまだ後悔しているの?大人の後悔を子どもに押しつける。そんな話を子どもは聞くべきじゃないし、大人はそれを言うべきでもない。
改めて思うが、なんだか大人って恥ずかしいなと思った。
私たちは「見えている」と思っているけれど、実際は見えていない。でも、見えていないことを自覚している――それが“大人”という姿なのかもしれない。子どものころ、私はよく思っていた。「大人はなぜ何も見えていないのだろう?」と。今になって思う。あの直感の一部は、かなり当たっている。
日本経済の行き着く先がまったく見えないということを自覚するためにこんなことをつらつらと書いてみたが、まったく答えらしいなにかの片鱗もかけていない気がしている。
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