白衣を着たおじさんが言った(ことにしておく)。
初めに言っておくが「正解はない」んだよ。
「人生が幸福であること」と「人生に意味があること」は似て異なるのと同様にね。
幸せに生きるという価値観が重要かどうかは、本人が決めればいいことだが、仮にその価値観を受け入れるにしても、幸せの定義は人によって異なってくる。
もしあなたが「私は中流家庭で生まれて育ち、人並みに生きたい」というのなら、それがその人にとって人生における最大の価値になる。
多くの人がそれを望んでいる。
欲望の数としては、人間の世界に締められる最大のものかもしれない。
それでいいはずなのに、でもそれではないはず、と悩んでいる人は意外にもこの世の中には多い。
⋯というより世の中の人の悩みのほとんどは程度の差こそあれそういうものだ。
でもそういう人達の心裡にあるものは結果に過ぎない。
申し訳ないが私には「人並みに生きたい」と願う気持ちもわからないし「人並みに生きたい」くせに変わらない日常を変えようと藻掻いている人のそれらはどうでもいい。
アインシュタインの言葉とされているが、実際にアインシュタインが言った根拠はないらしい。
「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること(The definition of insanity is doing the same thing over and over and expecting different results)」
私は研究者でそういうものをオーバライドするために私の存在意義があるという言い方もできるかもしれないが、いずれにしても頭の中の回路を組み替えれば消えてしまう他人の記憶を私が気にする道理がないことは、少し考えれば分かることではないかね?
もう少し他人の立場で考えれば分かることじゃないか、まあ考えられないからこそ君は悩んでいるわけだから無理もない。自分には悩みがあるけど、他人には悩みがないとか、思っているんだろう?どうしてじぶんだけが損をするんだとか思っているよね?
自らを不幸にする消えない記憶のことを人は未練と呼ぶ。未練はふつうは消えない。何度も頭の中で再生される。その人の人生ににおいて脳内で復元され続ける。その記憶は再生され続けて強固になるばかりだ。まるで自分の体の一部を形成するかのように心身を蝕んでいく。ひどい宿痾と言えるだろう。でも取り除いてあげようとすると、怒り出す人もいる。自分の一部を取り除かれていると思って抵抗しだすんだ、不思議だね。捨てれば楽になるのに、捨てられるものかと怒り出す。捨てようとしたけど失敗したから、いざ私が簡単に捨てさせることができてしまうと、捨てられなかった自分が無能に思えて怒りが沸くらしい。
多くの人個人的に幸せという幻想に縛られているだけな気がするが、私は医師としてクランケの価値観を決めたいわけではないんだ。わかってほしい。
私がいいたいことをもっと正確に言うと、すべての決定とそれにふずいする出来事は、あなたがそれを自分で決めたわけではないということ。
初期インストールされた価値観パラメータを構成する価値系の脳内配線を組み替えれば好きに生きられる。
たとえ今の境遇が冴えないものでガチャポン(親ガチャなど)を初めて優良環境因子から外れた個体だとしても、後からある程度は挽回できる。お金を手に入れる人生なら若いうちがいいが、短い人生しか残されていない人は心の平穏が手に入れられる。
初期の価値観パラメータの結果とその出来事も、変更後の価値観パラメータと脳内回路の構成変化による影響も、現在の自分を取り巻く周囲の現状の環境とその認識それ以上でもそれ以下でもなく、それらが普遍的な価値観ではないかと決めつける思い込み。
そう、すべては思い込みなんだがそれを取り除いてあげられるとしたらどうする。
いくら払う?無料ならやる?アマギフ6万円もらえるなら頭の中をいじらせてくれる?失敗したらどうしてくれるんだとか思った?自分の頭の中が失敗作なのに失敗を恐れているの?
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