都内某所、某日。忘年会と称して、家族でカレーとナンを食べに行った。土曜日の食事どきだというのに、店内に客はほとんどいない。いつもはそこそこ賑わっている店なのに、なぜだろう。師走で里帰りが増えているにしても、少し不自然だ。物価高の影響だろうか。
家の近くには、群馬のクルド人……なのだろうか、ケバブ屋ができた。もっとも、東京ではケバブ屋自体がもう珍しくなく、価格競争も起きているらしい。1つ350円のところもあるとか。支払いは現金のみ。「これは絶対に◯◯だからだよな」と、つい勘ぐってしまい、結局手が伸びない。もうも中国みたいに現金払い禁止してもいいのではないかな。(中国は現金払いを禁止はしていないが、お国の事情もあって電子マネーがどこでも普及しているという)
最近は『2030―2040年 日本の土地と住宅』(野澤千恵)を読んでいる。読んでいる、というより資料集を眺めている感覚に近い。2030年以降、人口減少によって供給は増えるが、不動産の「勝ち」と「負け」がはっきりする――まあ、言われてみれば当たり前の予測だ。ある程度便利な土地に新規の建物が増えるという予想は参考になるが、所詮は現時点で負け組の土地なんだよな…と。土地を勝ち負けで判断するのはよくないとは思うのだけど、利便性が高ければ価値が高い問い動く当たり前の結論になる。
個人的には、旧耐震でもいいから、安くて便利なマンションや土地が、うまい具合に転がり込んでこないものか、と思っている。だが、そんなことを考えているのは皆同じだ。理想を手放せず、妥協もできない想念ばかりを抱えているうちは、きっと家なんて手に入らないのだろう。実際、そう言われたこともある。
子どもの人生だとか、高齢化する親だとか、別に誰かに強く求められているわけでもないのに、気にし始めると余計に動けなくなる。かといって、利便性のいい土地が、ある日突然ポンと手に入るはずもない。
結局のところ、「怪しい事業で一発当てるくらいしか、自分の人生は変わらないんじゃないか?」という、若い頃にありがちな安直な思想に、いまだに取り憑かれているだけなのかもしれない。
人生は、死ぬまで改革であり、戦いなのだろうか――
そんなことをふと思ったが、カレーとナンを食べすぎて胃がもたれる。
小麦を大量に消化できなくなっているのかもしれない。いや、昔から食べすぎれば胃は重くなった。ただ、そのリカバリがきかなくなっているだけだ。
小さく、スマートに生きたい。だが、それができないまま迎える年の瀬。年末と言うには、まだ少し早すぎる27日の夜だった。

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