・わたしは仏教者だから?ー都合の良いときだけーあらゆる欲は悪いものだと思っている。知識欲もしかり、そんなものないほうが何かと楽なのに、たいして記憶力も回転力もない頭を使って考えているふりしている。疑問をもつなんてその後に調べたり明らかにしたりしないといけない。どうせすぐに忘れるのに時間を浪費する。
・知識欲は基本的に何歳であっても肯定される。まあ少なくとも知的産業に携わっている(というつもりならば)働き続ける限りソレを求めるのは悪くないというより当然なのかもしれない。だから、年齢的には65ないしは70までは知識向上に務めるべきかもしれない。しかし、30代からオリンピックのアスリートを目指すバカはいないのに(ニッチなスポーツで第一人者になるとかはここでは除外する)、60代で医学部に合格する人がいる以上は誰も否定できない知識欲というものについて、どのように捉えるべきか。
・最近アルファ・アドバイザーズってのがYoutubeのCMに出てきて目にしてしまう。代表者の入住壽彦と坂下絵美といういかにもスゴそうなピカピカの経歴の人が、赤文字で黄色マーカーがついたプレゼン資料をもとに高い熱量と説得感で読み上げていくやつ。ついつい向上心と向学心がある人であれば聞き入ってしまう。海外でMBAとかEMBEと呼ばれるものを取得してCxOつまりは専門性ある経営者になっちゃおう!みたいなキャリアを歩みたい人向けにコンサルテーションを行ってくれるらしい。その道を求める人であれば誰でもウェルカムで、学歴や年齢などの最低限のラインを設けて足蹴りしていない感じがするのが、ちょっと怖い気もする。20代前後向けの講座?かと思いきや「今日は50代や65歳のかたもきておりまーす」てノリで説明している動画もある。この人の商材を買った人の何%が望んだ未来を手に入れたのか?と、そのクライアントのバックボーンを公表してほしいと思う一方、自分も曲がりなりにも教育事業をしている身としては、受講生がそういった情報に目を向けちゃいけない部分もある。ある種の確信みたいなものをもって前へ突き進むってのが肯定されないといけないので、難しいところではある。
・知識欲や向上心を前に私たちは冷静に自分の力量を捉えることに盲目になりがちで、ついつい私たちは理想を抱きがちだが、それを幻想としてしまうのか現状認識と捉えるのか否かの線引はどこにあるのだろうか。まあ端的にそんなラインは物理的にない論理的にはあるかもしれないが精神的にはない(苦笑)⋯けっこう曖昧にされがちだ。頭のいい人は(論理的に)客観的にラインをひいて自分に課すし他人にも課すとは思うのだが、それが間違っていることもあるかもしれない逆に言えば精神論的にはすべては肯定されうるから精神的な限界は私たちにはない。
⋯まあ、私は人間死ぬまで煩悩を持つべきだというか持てるまでは持ち続けるべきだと思う。たとえ、火の中、水の中、草の中、森の中、土の中⋯あのコのスカートの中。
80歳になってもエロを追求すべきである。
何の話だっけ?そう、ポケモンの話だ(ちがう)
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