生成AIはフィルターだ。自分の性格矯正、というかマインドセット変更に使える。
こういう主張をしている人は、あまり見かけない気がするのだが、実際のところ、私はいろんな場面で意識的にこの使い方をしている。そして正直、かなり使えると思っている。やっていることを手順化すると、だいたいこんな感じだ。
1.まず、自分の考えや伝えたいことを、そのまま言語化する。
2.それをChatGPTなどに渡して、「ネガティブな要素を排除して文章を整えてください」などとお願いする。
3.出力された文章を読み、違和感があるところを少し直したうえで、「これを自分の考えとして」読んでみる。
ここで起きているのは、単なる文章校正ではない。「ああ、自分は本来こういう考え方、こういう言い方をすべきだったのか」という再インプットだ。あのシーンでは、あのように言えばよかったんだと気がつく。このプロセスを通すことで、自分のネガティブな思考回路がそのまま吐き出してしまう出力結果が消える。代わりに、偏りや思い込みが削ぎ落とされた、「本来アウトプットされるべきだった言葉」が可視化される。
夜中に書いたラブレターもそうだし、誰かに対する腹立たしい思いもそうだ。送る前に一度AIというフィルターを通せば、「余計な一言」というノイズを言わずに済む。
この意味で、生成AIはかなり優秀な感情フィルターだと思っている。
もちろん、排除しすぎると自分らしさがなくなる。あるいは、ポジティブすぎて「これはさすがに自分じゃないな」という文章になることもある。そういうときは、「もう少し柔らかいトーンにできないか」「感情を少しだけ残した表現にしてほしい」とお願いすればいい。いくつか案を出してもらって、自分が納得するところにインプットを落としこめばいい。
SNSに投稿する前、メールを送信する前に、こうして一度フィルタリングする。それだけで、人間関係はだいぶ円滑になる。
実際、明らかに「これChatGPT通してるよね?」という、朴訥で感情の乗らない文章を書く人が、私の仕事関係者にも何人かいる。でも、それでお互いに無駄にざわつかないなら、それでいいじゃないかと思う。
良くも悪くも、余計な感情労働は少ないほうがいい。そもそもコミュニケーションなんて、ある程度プロトコル化してしまってもいいのではないか、と常々思っている。
特にプログラマ同士だと、なおさらそう感じる。もう人間同士のやりとりも、ChatGPTを一枚かませてバイナリ通信にしてしまえばいいんじゃないか。
感情をぶつけ合って疲弊するより、フィルターを通した言葉で淡々と意思疎通する。そのほうが結果的に、関係も仕事も長持ちする。生成AIは人間らしさを奪う道具ではなく、人間が余計なところで人間の欠点を出しすぎないための装置なのではないだろうか。

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