戯言|熊ノ木本線の映像と文章の違い⋯小説の利点は、自分の考察が深くなるところ

徒然草2.0

映像があるのに時間をかけて小説を読む意味はあるのか?という視点で考えているが、それはふんだんにあるんだろう。考える濃密さがまるで違うという話です。


世にも奇妙な物語の「熊ノ木本線」(主演:石田純一)を、ずっと「見たい」と思いながら、なぜか「まだ見ていない」つもりでいた。ところが実際に見てみると、昔に友人の家で録画されたビデオを観た記憶がよみがえってきた。忘れていると、「見たはずのもの」が「見ていないもの」になる。当たり前のことだけど、少し不思議だ。

それはさておき、改めて観てみると、この映像化は原作の内容自体はかなり忠実に再現していると思う。⋯ただし、ひとつ決定的に“抜け落ちている”部分があると感じてしまった。

それは、主人公が集落のお通夜に案内され、そこで出会う若い女性に対して、ふと興味を抱いてしまうところ。その瞬間に「自分は引き寄せられているのではないか」と気づく、あの微妙な内面の揺れである。この要素が、小説だと強くて映像だと極めて弱い。

小説では、その女性は単なる登場人物ではなく、閉じた共同体へと主人公を引き込む「重力」のように描かれている(ように感じた)。あからさまに説明されるわけではないが、わずかな描写や“間”によって、主人公が少しずつその空間に絡め取られていく感覚が丁寧に積み上げられている。
その蓄積があるからこそ「気づいたら抜け出せない場所にいる」という怖さが成立する。

しかし映像では、その“間”が十分に表現されていない。結果として、出来事は同じでも、「だんだん取り込まれていく」感覚が弱くなってしまっている。かろうじて熊ノ木ぶしの音がいいので不思議に乗せられる巧妙さ映像ならではだが。それはともかくも、、

これは単に演出の問題というより、そもそも文章でしか成立しにくい領域なのかもしれない。

さらにこの話は、どこか実話を下敷きにしているような妙な手触りがある。具体的な元ネタが分かるわけではないが、「何か現実の出来事がベースにあるのではないか」と思わせる。

そして、もしそうしたベースがあるのだとしたら、むしろ元の話のほうが小説以上に恐ろしいのではないか、とも感じる。もちろん、現実の出来事は物語ほど整ってもいないし、面白くもない。面白くするのが小説家の仕事だと言われてしまえば、それまでだ。それでも、読書感想を書く側としては、その正しさを理解しつつも、「もともとの現実のほうがより恐ろしいのではないか」という仮説のほうに、どうしても惹かれてしまう。

というわけで、何度も自分の考察を含めて読み直せる⋯というのが、小説のいいところなのかもしれない。

徒然草2.0
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