データから見えるもの⋯最悪の10年がまだまだ続くよどこまでも。
私は統計的には、ギリギリ「就職氷河期後期世代」にあたるらしい。でも、正直なところ、その自覚はまったくない。
世間で語られる就職氷河期世代の話を聞いても、数歳年上の先輩たちが語る苦労話は、自分には関係のない“他人事”のように感じていた。
実際、自分があまり苦労しなかったのには理由がある。
私は最初から高い理想を掲げていたわけではなかったし、就職にもあまり苦戦しなかった。IT業界の専門学校に通っていて、最初からPG(プログラマ)・SE(システムエンジニア)を目指していた。この業界だけは、当時もある程度の需要があり、就職の受け皿になっていた。
運良く「基本情報技術者試験」にも合格していて、スクールの講師からは「就職できないなんてことはないよ」と太鼓判を押されていた。その言葉通り、何社かには落ちたけれど、いくつかの企業からは内定をもらえた。
だから、当時の私は就活に対してわりと楽観的だった。
高校時代の時点で、すでに自分の進む道を無意識のうちに絞っていたこともあり、「最低限のお金が稼げて、実家を出られればそれでいいや」という、ある種の“諦め”のような感覚があった。
けれど、今思うとその「諦め」が、後々まで尾を引く“負債”になっているんじゃないかという気もする。
専門卒は、大卒と比べると、就職先を選ぶときの視点がまったく違う。大卒は幅広い業種から選ぶ必要があるけれど、専門卒は最初から選択肢が狭い。だからこそ、就活のスタート地点での視野も違っていたように思う。
マクロな統計で見ると、2002年あたりが就職氷河期の底で、2004年には多少回復しているように見える。でも、求人倍率は相変わらず低く、「2002年よりはマシ」なだけで、点で見れば大差はなかった。
体感的には、2002年と比べて2004年はずいぶん空気が明るくなっていた気がする。でも、それはあくまで「気がする」だけで、実際の状況はさほど変わっていなかったようだ。
【就職氷河期世代のリアル。仕事・年収・家族】1993年〜2004年卒の合計2000万人/非正規社員の比率は?/大企業就職が急減/3年以内
たしかに、同世代の人と話をすると「就活が本当に大変だった」という声をよく聞く。やはり、自分は紛れもなく就職氷河期後期世代なのだと思う。
でも、「その後のポスト就職氷河期世代は明るい時代だったのか?」といえば、決してそうではない。
むしろ、就職氷河期の前期世代よりも給与水準が低い傾向にあったりするし、リーマンショックの影響をもろに受けてしまった世代などは、かなり厳しい状況に置かれていた。冷静に見ると、あの時期に就職した世代も「最悪だった」と言っていい。
なぜか「就職氷河期世代」だけが強調されがちだが、それに続く世代だって、現実はなかなか過酷だったということが見えてくる。
そして今の令和の時代に就職を迎えた若者たちは、たしかに給与水準こそ上がってきてはいるものの、その一方で格差が広がりつつある。つまり、別の意味で生きづらさを抱えている。
みんなが等しく「大変」なのではなく、豊かな人とそうでない人の間で、若者世代の格差がどんどん開いてきているのだ。
就職氷河期の前期世代は、自分たちの不遇を流暢に語るけれど、その後に続いた20年間も、そして令和になった今も、決して“良くなった”とは言いきれない。
その事実を、私たちはもっと認識しておくべきなのではないだろうか。
うまく言葉にはできないけれど、負のスパイラルが断ち切られるまでには、思っている以上にまだ時間がかかりそうな気がしている。
私たちの抱える最大の懸念は、団塊世代の次に続く若い世代にも「明るい未来」がなかなか訪れないという現実が、すでに明らかになっていることだ。そして、日本という国の将来に「サステナブルな展望」がまったく見えてこないことこそ、本当に深刻で、最も憂うべき問題なのではないかと思う。
さまざまなことが語られているけれど、就職氷河期世代がバブル世代に対して抱く反感と同じように、就職氷河期の前期世代も、さらに下の世代からは「うるさい」「◯ね」などと過激に疎まれることがある。
つまり、どの世代であっても、ある地点から下の世代にはただの“重荷”として見られてしまう可能性があるという現実を、自覚しておいた方がいいのだと思う。
就職氷河期世代は、自分たちが「いかに不幸だったか」という話ばかりをしがちだけれど、その後の世代も、今の若者たちも、決して明るい未来が約束されたわけではない。
だからこそ、「自分たちだけが不遇だった」という枠に閉じこもるのではなく、もっと長いスパンで続いている社会の停滞や構造の問題として、捉え直す必要があるのではないだろうか。
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