戯言|宇宙Club

徒然草2.0

この話は、夜に眠っている時に見る夢の話として聞いていただきたいのです。

昨夜、私は三名の宇宙人を受け容れました。そして、そこから新しいインスピレーションが生まれました。

新しい考えが芽生え、それが持続するためには、私たちは宇宙人の力を借りなければならないのかもしれません。『なぜ宇宙人は地球人と共にありたいのか?』と問う人もいます。私にもその答えは分かりません。きっと、彼らにも彼らなりのメリットがあるのでしょう。遥かなる宇宙を旅して、彼らは私たち一人ひとりのもとに降り立ち、そっと融合します。私たちが意識しないうちに、彼らは私たちに受け容れているのです。

事実、私たち地球人は古来より宇宙人を体内に受け取り、共に生きてきました。それは変えられない事実です。もしかすると、その積み重ねこそが、私たちが高度な文明を築くことを可能にしてきたのかもしれません。もちろん、彼らから見れば私たちは、都合の良い媒体にすぎないのかもしれません。しかし一つだけ言えることは、彼らも私たちも、お互いを必要としている、ということです。

一晩に二名、三名を受け容れることは普通のことです。多いときには十数名に及ぶこともあります。逆に、一人も受け容れないこともあれば、一名だけということもあります。目覚めたときにゼロ、もしくは一名であれば、その宇宙人がどんな存在であったか比較的分かりやすいのですが、二名、三名となると、私の場合、誰が誰だか分からなくなります。毎日のことですから、いちいち覚えていられません。昨日の三食の献立を忘れてしまうように、その瞬間には自覚があっても、数時間経てば思い出せません。それと似ています。鈍感な人は、そもそも融合したことすら気づかないこともあります。しかし、融合は日々起こっています。個人差はありますが1日に0~十数名ですから、長く生きているほど基本的には多くの宇宙人を受け入れています。

中には、便宜的に名前をつけている人もいます。実のところ、私自身がそうです。昨日はアステ、レウルーラ、そして何とかファネス…そんな響きの名前だったような気がしますが、よくは思い出せません。融合する前の宇宙人のアストラル体を見ることができる人もいますが、融合してしまうと彼らは私たちの血肉に溶け込みます。正確には魂の一部になるだけですが、生前の姿は消えてしまいます。しかし確実に情報として魂に刻まれ、思い出すこともできます。

こうして、私たちは昨日とは違う自分に生まれ変わり、新しい考えを持って生きていくことができるのです。逆に、『今日と昨日は何も変わらない』『特に語ることもない』という時は、宇宙人の受容が何らかの理由で何日も起こっていない可能性もあります。生命が弱っている兆しかもしれません。何日眠っても良くならない場合、それは生体として死期が近い可能性もあります。宇宙人の住処としての役割を終えたのです。その場合は、静かにお迎えが来たと思って、諦めるしかありません。

私からすれば、宇宙人が入ってこなくなった時点で役目は終わり、生きる意味も失われます。生きるということは、宇宙人を受け容れることにほかならないからです。宇宙人を受け容れてこそ、人は人として生きられる。だからこそ、宇宙人が入ってこなくなったとき、それは人間としての役目を終えたというだけであり、それ自体が良い悪いという問題ではありません。

善悪や宇宙存在から授かるインスピレーション、そしてその意志について語り出せば話が長くなりますので、続きはまた次の機会にお伝えいたします。今回は、宇宙人がなぜ地球に来訪し、私たちの肉体と一つに調和しているのか、その一端をお話ししました。まだ理解しきれない方、信じられない方もいらっしゃるでしょう。最初はそれで構いません。そのうち不明点や疑念は、やがて確信に変わってゆきます。私も最初はそうでしたから、だいじょうぶです。

宇宙Clubではさらに深く学び、宇宙人と一緒になる喜びを体験したい願う方のために、時折、不定期ですが集いを設けています。詳しくは、どうぞ各教会支部長にお尋ねください。

それでは、またお会いしましょう。長寿と栄光を(Live long and prosper)

徒然草2.0
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