戯言|孤独は発作的なもの、孤独は片思いのようなもの

徒然草2.0

どっかの作家が「孤独でいいじゃないか」みたいなことを書いている本を読んでいるのだが、たぶんそういう書き方をしている人の多くが孤独というものが、よくわかっていないのではないかと思う。しかし、本は一般論として孤独について書かれているわけだから、単にズレているのは私なのかもしれない。

孤独は人により定義がことなると言ってしまえば、そもそも議論すらできないわけだから合わせないといけないが…私が考える孤独とは、「物理的にひとりでいること」でも「精神的にひとりでいること」でもない気がしている。どこか発作的なもので、茫漠とした空間になんだか一人ぼっちでいる感じに苛まれるもの。みんなそうだと思っていたのだが、みんながみんな違うらしい。

『はちみつとクローバー』に出てくる花本修司(しゅうちゃんせんせい)が「孤独が発作的に起こるものだ」というトーンで語っていた。むねがキューッとなる感じだったかもしれない。人に一方的に恋することとなにか関連するのかもしれない。つまりは片思いのことを孤独と勝手に思っているのかもしれない。Youtubeだハチクロの断片を見ていたら、こちらも登場人物に引きづられて心が痛くなる。人の心を動かすという意味では、これほどまでの名作はないのかもしれないが。まあでも、実のところ若い日のころの感覚は思い出せなく、もう忘れてしまった気はするのだが。

…そういう感覚が分かっていない人である私が、「孤独のすすめ」なんて書いてもズレていると感じてしまうし、人に会うとか何か楽しいことをするとかで基本的におさまるものでもない。あと孤独感を長らく感じていないと、そういう感覚があったことさえ忘れてしまうので、孤独を心のなかで再帰的に呼び覚ますのは難しい。そういえば、昔わたしは孤独感を確かに感じていた。という経験があるから、目の前の他人の孤独感を感じる他にないのではないか。

そういうものだから、もし孤独なるものを経験していないか、経験していても目の前の孤独な他人と違うものであれば、たぶん共通の孤独感について論じるのはそもそも不可能になる。ただ、孤独感を共通に語りたい場合はそう厳密な事も言ってられないので、あったかい飲み物でも一緒に飲むとかするよな態度をとるしかないのかもしれないけれど。辞書通りの言葉と意味で自分の頭に修められていない言葉をまた修め直すのは難しい。

バカは死んでも直らない。

孤独を片思いと勘違いして生きていくしかないのかもしれない。

徒然草2.0
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