「その人が怒っている」という事実は、その人にとっては疑いようのない現実であり、解釈では簡単に変えられない。切実で差し迫った問題でもある。そのストレスを放置すれば、本人だけでなく周囲にも飛び火する。
ただ、そもそも「怒っている」というのは本当に事実なのだろうか。
もっと言えば、それは真実なのだろうか。怒りは強烈な感情だが、いわゆる二次感情とされている。突然怒り出したように見える人でも、その背後には不安や恐怖、悲しみ、嫉妬といった一次感情があるという。
そう考えると、「怒り」は自分の心が作り出した反応に過ぎないとも言える。だからこそ、そこには解釈を差し挟む余地がある。そういう意味では、「怒り」は感情の中でも比較的、疑ってかかる余地が残る。
少なくとも、私たちが怒っているという事実があったとしても、それがそのまま真実であるとは限らないだろう。そう考えると「怒っている」という状態は、どこか幻想めいたもののようにも思えてくる。
実際、怒りの対象から離れると、それが嘘だったかのように消えてしまい、「穏やかな自分」が当たり前のように戻ってくることがある。
そもそも、怒りに心を揺さぶられない人生のほうが健全だと思う。それでも私たちは「怒っていること」を重要視する。特に怒っている本人ほど、「この怒りは本物だ」と信じている。「それは演技では?」などと言えば、火に油を注ぐのは目に見えている。
しかし実際には、その人は一次感情である恐怖や不安、悲しみや嫉妬に突き動かされて怒っているだけなのだ。
だからこそ、他人の怒りに感染しないほうがいいし、自分の中でこじらせるのも無駄だ。ましてそれをさらに他人へ広げるのは、負のループでしかない。
とはいえ、「怒りは常に間違っている」と言い切れるほど、私は自分ができた人間でもない。むしろ私は短気なほうだと思う。というか、怒りに任せて行動することが、トラブルを生むのも事実だが、同時に何かを達成する原動力になる面もあるとすら思う。
怒っている時は、脳内でアドレナリンが分泌されているのだろうが、それが長生きに寄与するという説すらある。そう考えると、怒りそのものを完全に悪とするのも、どこか潔癖すぎる気もしてくる。
結局のところ、怒りとは、本人や周囲にとっては喫緊の問題でありながらも、突き詰めて考えるとどこか曖昧で、追えば追うほど実体が揺らぐ奇妙なものなのだ。
話は変わるがお金持ちは怒らない、という話もある。よく考えればある意味それは当然なのかもしれない。その人の人格が優れている可能性もあるが、そもそも怒るような相手と関わらない、ストレスの少ない環境にいるので、怒り方そのものを忘れているだけなのではないか。
つまり、富裕層っぽい人が他人のミスを怒らずに済ませられるのは、その方の人徳というよりも、経験の偏りや忘却の結果である可能性もあるのではないかと私は思う。少なくともストレスフリーな世界にいたらわたしの怒りっぽさも減るに違いないから。
もっとも、怒りの経験など、不足しているくらいがちょうどいいしお金を払ってまで怒りたい人はいないだろうし、少なくとも私はそういう人に出会ったことがない。
もし、お金を払って怒りたいという人がいたら私に紹介して欲しい。人を怒らせるプロとしてお金をもらうために全力でお仕事をさせていただきたい。

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