戯言|不器用貧乏

徒然草2.0

「何事も飽きるのが早いから、あきる野市に移住しようかな。」

子どもに「ダジャレとオヤジギャグの違いは何?」と聞かれて、「ダジャレはおもしろいけど、オヤジギャグは寒い」と答えた。「じゃあパパのはどっち?」と聞かれて、「もちろんオヤジギャグだよ」と答える。逆の意味で、全世界が凍りつく。

…というわけで、飽きっぽくて、器用貧乏に憧れる不器用貧乏。不器用なんだからスッカンピンで当然。要するに、特に誇れるものがないってことだ。褒められるところがひとつもない。

年を重ねても仕事ができる人というのは、器用貧乏ではなく、スペシャリストとか職人気質の人らしい。でも、自分にはそうなりたいという気持ちがまったくない。そもそも「職人」とか「スペシャリスト」という言葉にピンとこない。誰かと比べられて「あの人は職人だね」と言われても、「いや、自分は職人じゃないからなー」としか思えない。

「君はクリエイターじゃないね」って言われたら、ちょっとショックかもしれない。クリエイターでありたいとは思っている。何も作っていないけど。ま、それはともかく。職人にもスペシャリストにも興味がないから、不器用貧乏なんだろう。何かを得意になりたいという気持ちもない。形になる前に手放して、また新しいことを始めたくなる。

自分の中で「もう十分だな」と思った瞬間に、手放したくなる。だから何も身につかない。これがADHD気質なのかはわからないけど、この切り替えの早さが、特に役立つわけでもない。結果として、中途半端な不器用貧乏が出来上がる。自分は求道者(ぐどうしゃ)だと思っていて愚直(ぐちょく)なんて言葉が似合うと思っていたこともあるけど妄想だったみたい。親鸞は自分のことを愚禿(ぐとく)っていうけど、あれ親鸞だから様になるんであって、私が言ってもただの自惚れだ。

そういう人間が生きやすい世界があればいいけど、大人になると、自分を世界に合わせるしかないと分かってくる。それでも、やっぱり「自分の世界がある」と信じたい気持ちは捨てきれない。

ダメだとわかっていても、やめられない。ただ私達は存在しない世界の住人にはなれないので、やっぱり貧乏は、なるべくしてなるんだな。貧乏とは存在しない自分の世界に生きようとした人という側面はあるのではないか。逆に言えば、お金持ちはお金持ちになるべくしてなるんだ。彼らは、自分の世界と現実が正確にリンクするらしい。彼らは自分が運がいいと思いつつも、なるべくしてなったと思っている人が少なくない印象だ。

SNSを見ていると、「生活保護はずるい」と言う人を見かける。「生活保護が悪いんじゃなくて、SNSでぐーたらしてるのが悪い」なんて、話をすり替える人もいる。まあ、世知辛い世の中になったなと思う。無駄を省こうという流れの中で、注目されるのも仕方ない。不正利用はもちろん許せないけど、「ずるい」と言うなら、自分がその立場になればいい。

ひろゆきが「生活保護を確実に受けられる方法」を語っていたけど、実際にその方法で受けている人を知っている。抜け道がある以上、それを「特権」だと思うなら利用すればいい。制度が成り立たないというなら、設計した側の責任だ。悪用が増えて困るのは、本当に必要としている人なんだけど。

ホリエモンも言っていたが、「働く気がない人が働いてもいいことはない。だから無理に働かなくていい」と。でも、奴隷は他人にも奴隷をさせたくなるし、馬車馬は他人にも馬車馬を強要したくなるらしい。さなえに「さもしい顔」って言われて突き放されたい(?)

「多様性」って、いろんな価値観を認めることだと思われがちだけど、その前に、「自分の価値観を他人に押し付けない」ことなんだと思う。ただ、それができない人(自分も含めて)は、世の中にごまんといる。

徒然草2.0
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