実用的な本が好きだ⋯自己啓発とか最新の学問の成果とか社会的なエッセイとか、でもだいたいそういう本を書いている人というのは、どっかの大学教授とかで学問的に優れているか、実業家で現在進行系で成功しているか、いずれかの属性であることがほとんどだ。
好きで本をめくっているののに、そのような属性の人の人生論が何の役に立つのだろう?とふと眼にしてしまいくさすことがたまにある。(まあ、あまり役に立たないなという主旨のことを思っているのだが、)ようは本を読んでも役立たないと思うことがよくあることを少しふくらませると、今度は書いている人そのものを拒絶するに至る。厄介な感情。
実用書に限って言えば、本の内容を実践しなければ、役立たないと言い換えてもいいかもしれない。本の内容は現実のすべてではないし、本の内容に再現性があるかどうかも別問題。なのにある分野で上手く言った人が人生を語ってしまうのを眼にしないといけないことがある。
あれって一体何の読者サービスなのだろう?そんな本ばかり書いているひとがいて気になって読んでいる。著名な学者に「なんとかなるよ」と言われても、それはあんただからどうにかなったんだろうね、で終わる話だよなと思って冷める。矢沢永吉に「やるやつはやるし、やらないやつはやらない」って言われても冷めるっちゃ冷めるし、熱く成れるなら君は矢沢永吉のファンでみんなトモダチ!(知らんけど)
多読なんてのは愚の骨頂、多読が役立つ職種にある人、例えば評論家の類の仕事についているなら小銭もうけにつかえるがそれ以上でもそれ意外でもない。私が個々で何を言おうとも学者に対する無学者の嫉妬であり、小銭も受けの評論家や記者に対する当てつけ似過ぎない。相手にされない感情だから育てても無意味で無価値だが、そういうものが生まれるようになってくると作者の存在とそれを表す属性を追う気が失せてくる。それでもなお本を読むとなると作者を表していないストーリーだけを読むことになる。
リアルに即した実用書を読むべきだと思ってきた。福沢諭吉も小説などの創作を読むことを弟子に禁じていたそうだが、だんだん煩わしくなってきた。あばら家に遺産整理へ行ったらエロ本が幾つも転がっているよりも、古ぼけた『思考は現実化する』が転がっているほうが気が滅入るだろう。エロ本が幾つも転がっている有り様が現実化しただけの人生だったな。
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