戯言|ハイデガーが親鸞の歎異抄を読んで感動したとは考えにくい。ハイデガーは仏教者で浄土真宗なの?

徒然草2.0

結論から言うと調べた人がいて、こういうことなんだろうな→「インターネット上に「ハイデガーが歎異抄に感銘」(松野尾潮音「生活のなかの信仰4」『中外日報』昭和38年8月6日)の情報があるが、出典、根拠の記載はない。

ハイデガーは東洋思想に興味を持っていたらしいが、歎異抄に感銘するのならばまず仏教を受容してそのなかの一宗派・浄土真宗開祖の親鸞の思想を受容してからでないと、歎異抄は流石に読めないのではないか?

存在論的な思想家はとかく孤独であり、サルトルのように神と決別する人もいれば、キエルケゴールのように神に回帰する人もいるけど、ハイデガーはどっちよりでもないと言うスタンスなので、そういう人物が歎異抄に感動しちゃったとは考えにくい。

まあ、私がそもそも歎異抄を読んで感動しないから、ハイデガーも感動しないはずだと思っているだけだが。歎異抄に感動するくらいなら、その前に聖書やキリスト文化の触れて感動している部分もあるだろうに。ハイデガーにその手の話はあまり聞かない。歎異抄推しの哲学者や思想家が勝手にハイデガーと歎異抄を結びつけて権威付けしたに過ぎないのではないか。

という仮説を調査したくて自分もいくつかハイデガー全集をめくってみたのだが、日記的なものなどは見当たらなかった。ドイツ語の文献に当たれば違うのかも?とおもったが、別に哲学史を研究したいわけではないのでそこまで手はのびない。

とりあえずChat-GPTにWebの情報を調べてもらった限りは、「そんなソースはないよ」ということだったので、そういうふうに思うようにしている。

松野尾潮音「生活のなかの信仰4」『中外日報』昭和38年8月6日)の記事を読んだ哲学者なり思想家が拡大を解釈してしまい今に至るんだと思われる。

実害は特にないけど、裏が取れない情報をまことしやかに語ってはいけないのではないだろうか。

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